視点

「官」と「民」に貢献する「公」

2006/01/09 16:41

週刊BCN 2006年01月09日vol.1120掲載

 最近の姉歯元建築士の問題などをみていると、改めて「官」と「民」の関係について考えさせられてしまった。「官」の体質にいろいろな問題が出てきて、「民でできることは民にやらせろ」という風潮が強まっているが、もともと「民」は経済原則で動くのが基本。すぐ勝ち組、負け組と色分けしたがるように、どんな結果を出したかの判断基準はお金で下され、このため利益を出すことが最優先されるようになっている。その一方で、「官がやることはすべて悪い」という考え方も頭をもたげている。どうも「官が良い、悪い。民が良い、悪い」という2元論で判断しすぎてしまっているきらいがある。

 今こそ人々の考え方の中に、「公」というものを据えてみる必要があるのではないだろうか。個人を離れ全体にかかわる立場で「公」という気持ちをもてば、「官」にも「民」にもできないことが起こり得る可能性がある。

 私が日本電信電話公社に入った頃は、公共企業体という仕組みは、官と民の両方の良いところ取りだった。電電公社、日本国有鉄道、日本専売公社の3公社が発足した1953年当時は、そこには燃えるような公共企業体理論があり、組織論だけではない明快なコンセプトをもって、常に時代に合わせて動くという考え方があった。今こそ、「公」というコンセプトが大事ではないだろうか。

 さて、この「公」をどう実現するかだが、考えを巡らすと団塊の人々に行き当たる。いまから「官」でもないし、「民」として徹底してお金を儲ける必要もない。そんな団塊世代にこそ「公」というコンセプトがふさわしい。情報通信の世界では、今後家庭内にブロードバンドがどんどん入り込み、テレビやパソコンだけでなく、冷蔵庫やエアコンといった家電機器もネットにつながってくるようになる。こうした際のインターオペラビリティ(相互運用性)を考える時に、企業なのか、国なのかと考えた結果として、「公」のコンセプトで協調して、合意していくのが最も理想的に思われる。

 「官」と「民」に貢献する「公」=CIAJ。当協会では最近こんな標語を掲げた。団塊の人々が世の中全体の安心・安全のために働く。お金儲けだけでなく、社会ニーズとして動く。団塊という人材は今後も貴重な存在だろう。
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