ITベンダーへの“トラウマ”が障害

 神奈川県や東京都などに広がる日本4大工業地帯の1つ「京浜工業地帯」には、重厚長大企業から仕事を請け負う製造業の「町工場」が集積する。ここの製造業は1980年代、生産工程を効率化するため、オフコンなどでいっせいにIT化を断行した。

 川崎市川崎区に所在する製缶業で、主に東芝から大型計測器のケージング(鉄鋼外枠)など大型製品を受注している仙崎鐵工所も、1985年頃に東芝製オフコン「TOSBACシステム」を導入した。これ以降の00年前後には、発注先から定常的な納期短縮やコスト削減、VAN(専用線)による受発注システムの導入・変更などの要求が強まり、パソコンを利用したシステムへの変更を余儀なくされ、オープン化への道を突き進んだ。

 詳細は後述するが、この時から「ベンダーとの闘いがあった」と、3代目の沼りえ社長は述懐する。95年当時、あるITベンダーにオフコンからクライアント・サーバー(C/S)型への移行を発注。その際に、「製缶の工程は、型鋼や鋼板を溶接して…」といった、業務フローを伝授し、生産管理システムを構築するよう依頼した。

 これに対してITベンダーからは、「サーバーのデータベースはデフォルトドメインに対応した…」などと、詳細設計の回答が寄せられた。「専門用語は理解できなかったが、分かってくれているだろう」と沼社長は楽観視していた。700-800万円を投じてWindows95ベースの手組みの生産管理システムを導入。だが、「出来上がりがあまりに違っていて、あぜんとした」。これを機に、ITベンダーは信用ならないと思い込んだ沼社長の“トラウマ”は、しばらく癒えることがなかった。

 仙崎鐵工所は戦前の1934年に沼社長の祖父が「一人親方」として設立。造船の溶接作業を行った。現在の業態を確立した2代目(実父)の時代から、材料調達や板取、製缶、機械加工など生産工程をすべて1社で担わず、京浜地域の中小企業約50社に取引先を拡大。東芝の「取りまとめ役」の役割を果たすようになる。

 同社の製缶工は、溶接作業だけにとどまらず、取引先との発注、受注、納品、生産分担など「ゼロから100までを担当」(沼社長)する。しかし、属人的な生産管理では工場の負荷が分からず、受注オーバーなどの齟齬が起きた。

 「失敗したくない。でも、ITベンダーが見つからない」(沼社長)。05年4月に稼働した現システムを構築する際、川崎市に相談し、ITコーディネータの齋藤順一氏(未来計画代表)を紹介された。

 前システムについて、齋藤氏は「業態を分かっていないため、小さな組み立て屋向けの生産管理システムだった」と根本的な間違いを指摘する。製缶に使う部品は、1製品当たり300-400個。一般的な製缶品の10倍以上の工程がある。これを理解できずに、システムを構築できるはずがなかったのだ。