ネット社会に潜む闇が、行きずりの殺人という事件につながった。犯罪サイト「闇の職業安定所」で知り合った3人の容疑者が、路上で女性を拉致し殺害したという事件だ。犯罪の請け負いサイトで出会ったばかりの男たちが、金目当てで行きずりの女性を襲い、殺害するという行動自体も異様だが、犯行後、「死刑になるのが怖い」といって警察に出頭するというあまりに身勝手で、稚拙きわまりない精神構造はおぞましい限りだ。

 犯罪の請け負いを助長するかのような闇サイトが、何の規制も受けず、誰もがアクセスできる場所で公然と運営されていることを理不尽と感じるのは、良識のある人間なら当然のことだろう。

 しかし、一連の報道で違和感を感じるのは、この事件に対するコメントを求められた識者の多くが、「表現の自由との兼ね合いで規制は難しい」と発言していることである。

 確かに表現・言論の自由は、民主主義の基本的な権利であり、思想や言論の内容に規制をかぶせようという動きは、言論統制にもつながる。サイトの書き込みにまで警察の規制が及ぶとすれば、それはそれで戦前の全体主義社会への逆行にほかならない。とはいえ、実際に犯罪の委嘱や請け負いに活用されているサイトまでもが、「言論の自由」という高邁な理念のもとに温存されるというのは、どうも問題の本質をはき違えているという気がしてならない。

 通称「闇の職安」と呼ばれるこのサイトは、すでに何年にもわたって携帯電話の名義売買や、脅迫、誘拐に類する犯罪に関係してきた。報道などで取り沙汰されるたびに、場所をかえては存続してきたいわくつきのサイトである。にもかかわらず、こうした事件が生じるまで責任をもって対処する当事者がいなかったのはなぜなのだろうか。ネットの世界が自然現象ではない限り、事業主がいれば運営責任者もおかれているのは当然で、誰にも管理責任がないなどということはあり得ない。

 これは言論の自由などという理念に類する問題ではない。飲酒運転につながると知りながら酒を供した飲食店の店主が、飲酒運転幇助の罪を問われるのと同様の背後責任の問題である。せめて、警察や業界団体による自主規制を迫られる前に、サイトの場所を提供するプロバイダ自身が、コンプライアンスポリシーに照らして責任のある対応を行うことこそが、企業としての使命ではないか。