視点

「今どき」でない選択の背景

2025/04/30 09:00

週刊BCN 2025年04月28日vol.2057掲載

 先日、ある自治体の行政施設を訪れた。竣工したばかりとあって明るく広々しており、仕事がしやすそうな環境だと感じたが、通された会議室に入ってギョッとした。部屋全体で床板のすき間から無数のLANケーブルが飛び出ている。聞くと、機密性の高い情報を取り扱うこともあるため、無線LANの使用が禁止されているという。打ち合わせや作業で職員がこの部屋に集まった際は、各自がケーブルを会議机の上に引っ張り上げて、持ち込んだPCに接続しているのだ。

 建物は最新なのに、今どき、無線LANが使えないなんて。電子証明書などを利用して認証をきちんとすれば、安全に業務は行えるはず。そもそもこの場合、有線と無線の違いはセキュリティー確保にあたって本質的な事項だろうか……ITに明るい読者であれば、このように思われるかもしれない。しかし、この組織には認証を強化するソリューションを導入する予算がない。それらの仕組みを長期にわたって正しく運用できる職員もいない。お金も人手も足りない中で、建物の外からネットワークに侵入されるリスクを排除するため、不便は承知のうえで無線禁止というポリシーを設定したことを、部外者が頭ごなしに否定することはできない。

 クラウドの導入でも同じようなことが言える。今どき、運用保守の手間がかかり、社内からしかアクセスできないサーバーを購入するより、パブリッククラウドを活用すべきという考えに、IT業界が傾きつつあるように見える。しかし、顧客と向き合い提案にあたっている方々であれば、企業のIT資産は簡単にクラウド化できるものばかりでないことはよくご存じだろう。AIやエッジ処理といった用途だけでなく、一般業務でもオンプレミスのサーバーの需要は根強い。

 「今どき」のトレンドとは異なる選択肢が選ばれるとき、その裏側には理由がある。ITの専門家がよかれと思って示すシステムの理想形とは関係なく、顧客はそれぞれ事情を抱えており、それを無視しては売れるものも売れない。ただ、現状維持のリプレースを繰り返すのみでは、顧客にとっても将来の不利益につながるのは明らかだ。働く場所が自由になることによる生産性の向上や、ハイブリッド環境でも簡単に運用できるツールなどを、まずはスモールスタートのかたちで示し、顧客にメリットを実感してもらい、新たなIT投資への意欲を引き上げるステップが必要となる。理想形を一足飛びで実現することはできない。

 
週刊BCN 編集長 日高 彰
日高 彰(ひだか あきら)
 1979年生まれ。愛知県名古屋市出身。PC情報誌のWebサイトで編集者を務めた後、独立しフリーランス記者となり、IT、エレクトロニクス、通信などの領域で取材・執筆活動を行う。2015年にBCNへ入社し、「週刊BCN」記者、リテールメディア(現「BCN+R」)記者を務める。本紙副編集長を経て、25年1月から現職。
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