▼日印ソフトウェアは97年11月、4名で設立した。前号登場のギリさんは創業メンバーの1人で99年4月、社長に就任した。会社の主力事業は、日本企業へのソフト技術者の派遣と、ソフト開発の受託だ。仕事の基本言語は日本語と決めている。そのため日本語の習得が最低習得条件だ。日印ソフトでは採用した全社員を社内の日本語学校で1年、語学教育をする。インド企業にしてみると、言語に日本のIT市場参入障壁のひとつがある。これは大きな壁だ。インド人はいう。わざわざ日本語を勉強することはない。インド人は英語という世界共通語が話せる、聞ける、書ける、読める。それにアメリカのコンピュータ市場は大きい。コンピュータ言語さえ覚えて、アメリカに行けばいい。

▼何のために、苦労して日本語を勉強するのか。今のところ、インド人の日本IT市場に対する魅力は小さいとみた。言語ばかりではない。食事の環境にしても日本は整備されていない。身近な東京を思い巡らしても、限られたインド料理店、カレーショップだけだ。インドの人は食事のときに、「ベジかノンベジ」の店を探す。ベジはベジタリアンだ。インド人にはベジが多い。恥ずかしいかな、こんな食文化の基礎知識も知らなかった。これでは日本にインド人を迎える環境はできない。だからインドでの日本向けソフト開発会社は人材を採用するのに苦労する。かつ、育てるのに時間とコストがかかる。育てると、それはそれで、いい条件の会社に転職するから、がっかりする。苦労の連続である。

▼インドのIT企業が変化を見せ始めたのはNY911以降だ。アメリカ一点張りから、日本にも目が向き始めたのだ。それに先んじるように昨年8月、日印ソフト(http://www.nichi.com/)とアコード(原真社長、写真)はソフト開発事業の業務提携を結んだ。アコードは香港に本社をおくIT商社で、台湾を主力拠点に事業活動している。そのアコードがインドオフィスを開設した。「インドでのソフトウェア開発、情報収集などをインドのシリコンバレー、バンガロールでお手伝いする」という事業展開だ。原さんのインド訪問は1976年に始まる。どうも、ヒッピーにあこがれていた時代のようだ。不思議な眼力をもった人で、パソコン産業の黎明期から新しい潮流を読むことで有名だ。原さんの歩いた後には、現に産業の道ができている。台湾は世界のPCボード生産基地になった。香港から深 も一大生産基地が広がった。

IT.COM会場を視察する原真さん(横向き右側)

日本語の先生、荒木隆三さん。神戸大学哲学科を81年卒業
▼インドでIT技術者を目指す学生は年間に30万人が卒業する。バンガロールで10万人。ソフト技術者は人気だ。その理由は資本がいらないからだ。開発言語を覚えて、考えるだけでいい。考えることが好きなインド人向きだ。最大の理由は給料がほかの職の3倍は高いからだ。手厳しい見方もある。日印ソフトで日本語教師の荒木隆三さん(写真)はいう。「最近のインド人にはハングリー精神がなくなった」。理由はもちろん賃金だ。父親が1万ルピー、大学卒のソフト技術者が3万ルピー。これでは青年のハングリー精神がなくなるばかりか、社会に偏重をきたすことになる。(本郷発・BCN主幹奥田喜久男)