旅の蜃気楼

仲居さん

2002/07/22 15:38

週刊BCN 2002年07月22日vol.950掲載

 

 ▼街にいると山が恋しい。山にいると街が恋しい。人間は我がままにできているんですね。台風が去って蝉の声が聞こえ始めた。庭石が雨に湿って輝いている。みずみずしい樹木の葉が、太陽の日差しに透けて鮮やな緑を発散している。艶っぽいな…。なんて、台風一過の景色を楽しみながら、今、伊勢の旅館「奥文」の一間に居る。外宮の近くだ。参宮客が絶えなかったころは、この大ぶりな旅館も満室で賑わっていたんだろうな。床の間つきの8畳。隣に2畳の小部屋。と綴ると、なんとなくいい感じなのだが、多少のかび臭さを我慢しなくてはならない。

 ▼ここに宿泊するには訳がある。今年5月、熊野山行の帰りに宿泊した折のことだ。旅館には食事を運んだり、布団を引いてくれる仲居さんがいる。美人の仲居はたいがい意地悪と相場は決まっているが、そうでないのに意地が悪いのだ。どうしてなんだろう。興味が湧いた。翌朝、ふっと、「お世話になります。これ、お心づけね」。と、小さく折りたたんだ1000円を渡した。きたぞ。「先生、いいんですよ、そうですか、それでは、ありがたくね、先生」。これが第一戦である。この現象は一過性のことなのか、それとも…。というわけで、第2戦のために投宿した。

 ▼ふすまの開く音がした。す――っ。「ううん」。「おはようございます。お目覚めですか」。「わっ」。「昨夜はお帰りが遅かったんですか」。「そんなでもないですよ。また、お世話になります」。あっ、あわてて夜具をお腹にかける。部屋に入る足音。す――っ。「まずいもの出てなかったよな」と、独白。「どうぞどうぞ。ご朝食は?」。なにがどうぞなもんか。夜討ち朝駆けするブンヤみたい。

 ▼いやいや、本号では、エヴェレストの頂上にThinkPadを持ち上げた、東大3年生の山田淳くんをさわやかに綴る予定でしたが、70才の老仲居に寝込みを襲われ、動揺のあまりルート変更しました。さわやか君はASAHIパソコン8月1日号14頁をご覧ください。(伊勢発・笠間 直)
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