旅-経営者の目線-
<旅-経営者の目線->85.後藤新平の銅像を訪ねる
2004/11/29 15:27
週刊BCN 2004年11月29日vol.1066掲載
尊敬する高田屋嘉平衛と後藤新平お2人の足跡と銅像を10数年来探し訪ねてきた。高田屋嘉平衛の銅像は函館と淡路島で何度も拝見したが、後藤新平の銅像に会うことはできなかった。台北や台南などにあると聞いて台湾駐在員に探してもらったが、終戦時に撤去されたと知らされ諦めていた。その後水沢市にあるらしいと聞き、いつか訪ねたいと想いながら今日まで過ごしてきた。今回機会を得てやっとその想いを果たすことができた。
水沢市一帯は北上川の水運にも恵まれ、古くから東北の中心地として栄えた。平安初期に坂上田村麻呂が礎いた胆沢城趾がある。その後、この辺り一帯で蝦夷阿部氏と前9年、後3年の役が戦われ、源頼義、義家親子が名を挙げた。その後これに味方した奥州藤原氏が力をつけ、平泉に3代の栄華を誇ることになった。
水沢は高野長英や後藤新平、斎藤実元首相など歴史に残る偉人たちの郷里で、3人の記念館もありながら、北の花巻と南の平泉に挟まれて訪れる観光客も少なく、忘れられかけている。
2004年7月6日、東北新幹線で水沢市に向かった。高野長英記念館を訪ねた後、近くの水沢公園にあるという昭和53年(1978年)に復元された後藤新平銅像を訪ねた。ようやく宿望を果たし、銅像を拝して感無量、熱い想いに駆られて声もなく佇立していた。後藤新平記念館では胸像や多くの資料を拝見し、肉声の政見録音も聞くことができた。近くにある2.26事件で横死した斎藤実元首相の記念館も訪ねた。
最近、国立台湾博物館の地下倉庫に、軍服姿の兒玉源太郎と後藤新平の銅像が秘匿されているのが発見されたと聞き、近く訪台したいと想っている。またもう一度水沢を訪ねて、胆沢城趾や北上夜曲の歌碑を回ってみたい。
尊敬する高田屋嘉平衛と後藤新平お2人の足跡と銅像を10数年来探し訪ねてきた。高田屋嘉平衛の銅像は函館と淡路島で何度も拝見したが、後藤新平の銅像に会うことはできなかった。台北や台南などにあると聞いて台湾駐在員に探してもらったが、終戦時に撤去されたと知らされ諦めていた。その後水沢市にあるらしいと聞き、いつか訪ねたいと想いながら今日まで過ごしてきた。今回機会を得てやっとその想いを果たすことができた。
続きは「週刊BCN+会員」のみ
ご覧になれます。
(登録無料:所要時間1分程度)
新規会員登録はこちら(登録無料)
ログイン
週刊BCNについて詳しく見る
- 注目のキーパーソンへのインタビューや市場を深掘りした解説・特集など毎週更新される会員限定記事が読み放題!
- メールマガジンを毎日配信(土日祝をのぞく)
- イベント・セミナー情報の告知が可能(登録および更新)
SIerをはじめ、ITベンダーが読者の多くを占める「週刊BCN+」が集客をサポートします。
- 企業向けIT製品の導入事例情報の詳細PDFデータを何件でもダウンロードし放題!…etc…