旅の蜃気楼

デジカメと老眼鏡

2006/11/27 15:38

週刊BCN 2006年11月27日vol.1164掲載

【本郷発】楽しみにしていた本が届いた。『アサヒカメラ』12月号だ。定期購読をしているから、本は郵送で手に入る。仕事を終えて家に帰ると、本の入った封筒が机の上に置いてあった。わくわくして封を切った。「M8から始めるライカの世界」の特集が読みたかったのだ。話は少し時をさかのぼる。

▼カメラがアナログからデジタルに代わり始めた頃、カメラへの興味はなくなってしまうのではないか、と何となく自分勝手に思っていた。その理由ははっきりしないのだが、デジタルカメラは機械としての深みが浅いように、感じていたからだ。当初のデジカメはサイズが大きかった。最初に使ったのは三洋電機製だった。新し物好きの山仲間がそれを買った。買った理由はフィルムの予備を持たなくていいからだ。プリントアウトした出来栄えは粗いが、何枚か笑えるいい写真が残っている。

▼2年ほど一号機を使っている間に、デジカメ技術の進歩は早足で、小型化、高画質化、手ぶれ防止、シャッター速度の高速化、電源を入れた後の立ち上がり速度、バッテリーの持ち時間、充電時間の短縮化、充電器の軽量小型化などがなされた。小型化が進んで、デジカメは携帯の基本機能になった。このコラムの掲載写真で山と植物は、携帯電話のカメラで撮ったものも多い。今は携帯電話が山登りの重要な定番装備品だからだ。

▼デジカメは簡単に写せて便利だ。記者の仕事にデジカメは欠かせない。出張先からインターネットで送信すれば、いとも簡単に、取材先で写した写真を印刷することができる。時空を超える早業でニュースがネット世界を駆け巡る。というふうに、確かにデジタルカメラは便利なのだが、機械としての魅惑感が沸いてこない。好きになれない極めつけは、写す時にカメラのボディーを目から離して、被写体の映る四角い画面を見て写す姿が美しくないこと。その姿が、老眼鏡をはずして新聞を読む姿に似ていると感じたからだ。ところが、である。憧れのカメラ、ライカまでもがアナログの生産を中止して、デジタルでライカの哲学を追求し始めた。そこで自分のカメラ好きの何かが、解明されてきた。どうも、「姿」という美しさに惹かれているようだ。今年の年末商戦はデジカメの熱い戦いから目が離せない。(BCN社長・奥田喜久男)
  • 1