【本郷発】兄弟というものはいいものだ。あるときは仲が良かったり、喧嘩をしたり、いろいろな感情の起伏を経て、長い間にほどよい距離感で落ち着いて、時が過ぎていく。

▼『週刊BCN』を創刊したのは1981年10月15日だ。当時はパソコンが出始めた頃で、日本のあちこちに、夢の実現に向けて起業した若者がいた。パソコンのハードを作る人、ソフトを作る人、それらの商品を売る人を全国を歩いて取材した。忙しかった。取材依頼の電話を入れても、先方は誰も知らない。当たり前だ。創刊したばかりの新聞だから。それでも、電話をかけて何とか会ってもらった。とにかく人手が足りない。そうこうするうちに仲間が一人、二人と増えてきた。

▼83年11月に情報産業新聞の記者であった黒川長(たけし)さんが仲間になった。記者会見でいつも顔を会わせていた仲である。同年齢とあって、情報交換も頻繁にしていた。入社後は編集長をお願いした。現在の谷畑良胤編集長が7代目だから、5代前の編集長になる。その当時の人は今、大半が“アラカン”の人たちだ。黒川さんのことを、私たちは「黒ちゃん」と愛称で呼んでいた。黒ちゃんはこの1月に旅立ってしまった。いかにも早すぎる。特に残念なことがある。彼が88年3月に退職してから、一定の距離が開いていたことだ。それが昨年2月21日、湯島の居酒屋“シンスケ”で偶然に出会った。その時、長年の無沙汰を詫びて距離を縮めたばかりであった。

▼黒ちゃんは兄弟の多い家族で育った。一人で旅立った彼を、長男の方が遺品を整理して、郷里の伊万里市に運んだ。納骨は2月28日に終えた。そのお兄さんから丁重な便りが届いた。

 「(略)それにしても、長(たけし)がこのように多くの皆様にご交誼いただき、お世話になりながら精一杯生きてきたお話を皆様からお聞きし、私たち身内が知らなかった長の頑張りや優しさを改めて認識しました。身内のものとしてもこのような長の生き様を褒めてあげたいと思います。

 この世に生を受けて六十年、兄弟の中では一番孤独で寂しい日々ではなかったかと勝手に推測していたのが、もしかして間違いだったのではないかと思われてなりません。なぜならこんなに多くの皆様に慕われ、心からの仲間としてお付き合いを頂いていたのですから……。これからは私たちが長の側にいつまでも一緒にいてあげたいと思っています」。時がひとつ流れた。(BCN社長・奥田喜久男)