旅の蜃気楼

信念を築いてくれた師とのお別れ

2012/07/12 15:38

週刊BCN 2012年07月09日vol.1439掲載

【丸の内発】「邱永漢」をググってみると、130万件のサイト情報が表示される。そのなかのウィキペディアに目を通す。「邱永漢(きゅうえいかん、1924年3月28日-2012年5月16日)は」の後に説明が続く。邱さんが人生の幕を閉じたのはつい最近だ。訃報は中国山東省の済南市にいるときに聞いた。次々に届く訃報のメールを見て感傷的になりながらも、私はうれしかった。仲間たちが、「奥田喜久男は邱さんを信念の柱にしている」ことを知ってくれていることの証なのだから。

▼「日中韓に土俵を拡げる」というBCNのこの先30年の指針は、2010年10月23日、長沙市内のレストランで昼食をとっている時に、私が邱さんに投げかけた切羽詰まった問いに対する解であった。「日本の市場は今後成長しない。私たちが新しい市場を中国に求めるのは正解ですか」という問いに、邱さんは答えてくれた。「その通り。私はすでにそのことを20年前に書いている。土俵を拡げるのです」。

▼リーマン・ショック以後、日本の市場は冷えに冷え込み、市場規模は20%以上縮小した。このままでは日本の企業は疲弊してしまう。どうしたらいいのか。今日、生まれた子どもが成人した時に「私たちの親は本当にすばらしい日本をつくってくれた」と感謝してくれる行動をしよう。その解が中国にある。人口13億、5000万事業者が豊かさに目覚めた。しかも、伸びしろはまだまだ大きい。決めた。土俵を拡げよう。中国をまず知ろう。その瞬間に揺るぎない信念ができた。

▼邱さんのお別れ会は、皇居の近く、丸の内のパレスホテル東京で開かれた。ユニクロの柳井正さん、作家の沢木耕太郎さんら400人余りの名のある人たちが参列した。邱さんの遺言は、「葬送の唄は『昴』を」だった。皆で絶唱した。

〽目を閉じて 何も見えず……。(BCN社長・奥田喜久男拝)

邱さんは「中国に行きますか、日本に残りますか」と自身の著書で問いかけている
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