旅の蜃気楼

座禅を組んだら天女が舞い降りた

2013/07/12 15:38

【飛騨発】飛騨に千光寺というお寺があります。宗派は高野山真言宗ですから、禅寺。座禅を組ませてもらえます。これまでに2回、このお寺の境内で座禅を組ませていただきました。最初のご縁は2001年8月18日です。住職の大下大圓さんの導きで、半跏趺坐(はんかふざ)の座法を教えていただき、瞑想に入りました。「境内のどこでもお使いください」とおっしゃるので、本堂の脇と庭にある岩の上で半日ほど座禅の真似ごとをしました。この日はたまたまBCNの創業20周年記念日だったので、思い出深い一日になりました。こんな偶然もあるんですね。

▼座法は脚を折り曲げて交差するので慣れないと痛いですが、胡坐をかく時に、片足をもう一方の足の太ももに乗っければ半跏趺坐の完成です。心がけて鍛錬すれば、胡座よりも長い時間座っていられます。この禅寺には円空が彫った仏像があるので、これを見に行くのもいいですね。鉈(なた)だけで彫った荒々しい姿は不動明王です。じっと見ていると、とても素朴な温かさや優しさが木像から滲み出てきます。書の筆づかいと同じように、鑿(のみ)づかいがわかって、一筋一筋の彫り跡を目を凝らしてじっくり観察すると、知らないうちに感情移入して“円空な気分”になれます。

▼二度目は、ご縁があって今年6月21日の午前中に訪れました。雨の飛騨、霞が立ち込める山あいの風景、千光寺のある山の中腹に向けて高度が上がる。温かく迎え入れていただいて、本堂に入って半跏趺坐する。目が徐々に暗闇に慣れてくる。脈拍が遅くなり、呼吸も深くなる。やがて、半醒半睡の状態で朦朧とした心地のよい状態になる。心を漠とした状態に置き、気持ちを拡散させて想うとはなしに想う――私の場合の座禅の生中継はそうした様子なのです。

▼いろいろな出来事が心の中を通り過ぎて行きます。現れては消え、現れては消えを繰り返すうちに、走馬灯の回転に合わせて心が微かに揺れ動きます。私の場合は、自分を振り返るために座禅を組みます。そして、千光寺を訪ねた時に見つけた『八正道』で自己採点をします。

『八正道』
1、正しく見る
1、正しく思う
1、正しく語る
1、正しく仕事する
1、正しく生きる
1、正しく道に精進する
1、正しく念する
1、正しく定に入る
(飛騨古川・千光寺)

▼80点満点の『八正道』の採点結果は、いつも40点を上回ることができません。レーダーチャートに書き込むと結構いい点数を取れる項目もありますが、「正しく定に入る」に関してはまだまだその境地の入り口にもたどり着いていません。私の仕事柄からして、「正しく語る」ことについては考えることが多いですね。ただし、「正しい」ことについての概念の議論は棚上げとします。

▼さて今度の座禅では、自分でもあきれるほどの驚きの感覚が心に刻まれました。瞑想の状態にあって、天女が舞い降りてきたのです。羽衣は落ちてきませんでしたが、その時の優しく抱かれる感覚がどうにも心地よくて、道案内人に詳しく語りました。その道案内人の方は、私と千光寺の出会いの機会をつくってくださった恩人です。尾内治良さんといって、神岡鉱山とカミオカンデで有名な神岡町に先祖代々住んでおられます。

▼実は、尾内さんは何を本業としておられる方なのか詳しくは知りません。出会ったのは、ヴァル研究所がナイルという業務用アプリケーションの開発ツールを発売していた頃、NADGという開発者研究会を組織していた当時の話ですから、20年ほど前になります。尾内さんは会社を経営しながら、業務ソフトの開発者として活躍しておられました。その研究会でお会いして以来、山好きで私がひと回り年下の同じ岐阜人とあって、飛騨、新穂高、立山とあちこちで遊んでもらいました。

▼久しぶりに尾内さんに会いたくなって飛騨へ足を延ばし、自己診断のために千光寺に連れて行っていただきました。「えっ!? 天女が現れたんですか」「はい」「それは吉の相ですよ」「でも、瞑想中にですよ」「絶対に、吉ですよ」「迷走しませんかね」。……おあとがよろしいようで。
(BCN会長・奥田喜久男)
2013年7月9日記

私を快く迎え入れてくれた千光寺の山門

本堂の脇で座禅を組みながらパチリ(これでは悟りは開けませぬ)

神岡の道案内人を務めてもらった尾内治良さん
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