秋葉原物語

<秋葉原物語>[第1部 ポテンシャル]2.情報発信の街に

2004/11/08 16:51

週刊BCN 2004年11月08日vol.1063掲載

 東京都が秋葉原の再開発計画を練っていた2000年9月、石原慎太郎都知事が唐津一・東海大学教授(当時)とともに秋葉原を歩くというパフォーマンスを行い、テレビでもその姿が取り上げられた。

 唐津教授は02年に開催された秋葉原の再開発に関するイベント会場で、「僕が石原さんに秋葉原の街を歩いてみようと勧めたんだ」と、そのパフォーマンスの仕掛け人だったと明らかにした。「秋葉原のITセンターを世界のITセンターにしたい。秋葉原のように何でもある街はほかにはない。間違いなく世界技術の最先端を行っている」という思いがある。

 この秋葉原の街としてのパワーをより一層強めていくことが、再開発プランの骨子となっている。例えば、これまで秋葉原にはなかった「これからのIT産業を背負って立つ人材を育成するためのインキュベート機能」もその1つ。具体的な計画として、海外からの人材を含めたシンポジウムを開催する機能や、情報発信を行う機能をもつメディアセンターの設立といったことが計画されている。

 人は大勢押し寄せてはくるものの、電気街という商店の集まりゆえ、「秋葉原発」で何かが生まれることは案外少なかった。再開発によって、これまでにはなかった「秋葉原発」を実現していくための機能が新たに加わることになる。

 通常、再開発で箱を作り、ソフトはそれから注入していくことになるのだが、秋葉原の場合、導入すべきソフト像がはっきりしているという強みがある。具体的にはITの先端の街であり、ここに行けば触れることができるというイメージ。ただ、現実には昔ながらの電気街であり、ゲームセンターも並んでいる。そこにIT業界の先端企業を集め、最先端の街を作る。「10年早く再開発が実現していれば、携帯電話のモデル実験といったことも試すことができたと思う」(大野誠・東京都都市整備曲都市づくり政策部開発プロジェクト推進室開発調整担当係長)。再開発により、日本のモノ作りの“礎”を作っていくための機能が付加されようとしている。(三浦優子)

photo
  • 1