国のIT戦略に欠かすことができないのは、経済・産業の長期ビジョンと国際関係のグランドデザインだ。政策全体の取りまとめは内閣府、個々の政策は経済産業省や総務省が推進する体制が整っている。根本となる政治に携わっている立場から見たとき、IT戦略はどのように位置づけられているのだろうか。「経済・外交の両方を視野に入れた国際派」と称される自由民主党衆議院議員・逢沢一郎氏にインタビューした。基本的な考え方、基礎技術の研究開発、国家IT基盤のあり方、産業の枠組み、労働市場の門戸開放など、示唆に富む答えが返ってきた。(佃 均(ジャーナリスト)●取材/文)
<創刊25周年特集>5つの『地殻変動』がIT産業を変える
―BCNが予想する5年後の情報産業の姿【Part VI】
衆議院議院運営委員長 逢沢一郎議員に聞く
IT技術立国・日本への提言 第2次IT戦略のゆくえを探る
IT国家戦略は10年スパンで逢沢 まず、週刊BCNの創刊25周年、おめでとうございます。この25年間、一貫してIT産業をリードするメッセージを送り続けてこられたことに敬意を表したいと思います。
――逢沢さんの地元・岡山市はIT化でも進んでいると聞いています。逢沢 そうなんですが、意外に知られていないかもしれません。住民カードを活用したマルチサービスは全国の先駆けとなりましたし、現在は電子町内会の活動が盛んです。江戸時代から教育に熱心で、新しもの好きな土地柄ということがあるんでしょうね。
――党の情報化委員長も務めておられましたね。逢沢 現在も電気通信問題調査会、科学技術創造立国・情報通信研究開発推進調査会の副会長でもあるんです。外交と同じように、ITの国家戦略は10年、20年の長期的な視野でとらえなければなりません。少子高齢化が進展するなかで、ITを活用して生産性や品質を高めること、多くの人の役に立つ新しいサービスや製品をつくり出すこと、近隣諸国とスムーズなコミュニケーションを図ることがますます重要になってくるでしょう。
技術開発に官産学の総力結集 ――技術開発については。逢沢 日本は海外から原材料を輸入し、それを加工して輸出することで経済成長を成し遂げました。公害という問題もありましたが、それを克服できたのは絶え間ない基礎技術の研究開発があったからです。では現在はどうでしょうか。ホームページにも掲載したことですが、本当は確かな実力、能力があるのに、十分に発揮できていないのが今の日本ではないかと思います。官産学の総力を集中すれば、エンジン全開の日本を創出することができるはずです。
――技術開発に関する、国としての取り組みはどのようにあるべきだと。逢沢 たいへん難しい質問ですね(笑)。経済産業省や総務省、内閣府などそれぞれの立場で個々の施策を推進していますし…。ただ個人的には、利用技術は民間の自由競争に任せて、国は基盤の整備に力を注いだらどうだろう、と思います。例えばインターネットのセキュリティは大丈夫だろうか、ユビキタス社会が広がったとき、国全体の処理能力は確保できるだろうか、というグランドデザインを描くことも重要だと思います。
――ソフトウェア産業については。逢沢 またまた難問ですねぇ。素人の話として聞いてください。ここにきていくつか、情報システムのダウンに起因する大きなトラブルが発生しています。ITが浸透したため、システムの品質は一企業にとどまらず、社会・経済の混乱を招きかねません。そこで人材やシステム構築技法、評価手法、場合によっては法制度で枠組みをつくることも検討すべきかもしれません。やる気のある企業、技術のある企業への支援や研究開発投資などでフロンティアを拡大しなければ、国際市場に打って出ることはできないように思います。
――課題として、国内労働市場の門戸開放があります。逢沢 商品やサービスの流通市場として、日本は世界でも有数の開放政策をとっています。ところが医師や弁護士、あるいは技術者の受け入れにはまだまだ壁があるようです。国内法との関わりがあるのでやむを得ない事情もありますが、一部ではすでに相互に認証した技術資格保有者の受け入れ手続きを簡素化しています。課題なのはむしろ社会保障制度でしょう。資格と社会保障の相互認証が実現すれば、双方のプラスになります。経済、外交の観点で意義のあることのように思います。
――ご多忙のなか、ありがとうございました。 東京の新名所・秋葉原UDXのアキバ3Dシアターに、衆議院議員・逢沢一郎氏は颯爽と現われた。北朝鮮の核実験発表に伴う対応策を探るべく、10月22日に単身北京に飛び、武大偉外務次官ら中国要人と会談、トンボ帰りの翌早朝から分刻みで会議、会合という超多忙なスケジュールのなか、時間を割いてくれたのだ。
7期連続当選、政府・与党の将器であるにもかかわらず、軽快な足取りで握手の手を差し伸べる。その姿は、自分の目と耳で確認する“現場主義”の信条を端的に現わしている。実際、直接の携帯電話に驚いたという人が少なくない。
インタビューを始めるに当たって最初の言葉は「ぜんぶ個人的な意見ですよ」だった。発言が政策サイドや党派に迷惑をかけてはいけないという配慮も忘れない。著書『21世紀 日本の繁栄譜』と同様、言葉は穏健、平明だが、要点は明瞭にとらえている。まさに次代を担うにふさわしいホープの一人に違いない。
小泉内閣で外務副大臣、自由民主党幹事長代理を歴任、現在は衆議院運営委員長という要職にあって、一般には外交分野に強い代議士という印象が強い。だが、実は党情報化委員会の委員長としてe-Japanプロジェクトの立案に参画するなど、情報化にも深い見識を持つ。
●逢沢一郎(あいさわ・いちろう)氏1954年6月生まれ、岡山市出身。慶応義塾大学工学部卒業後、松下政経塾の第一期生として入塾。86年衆院選に初当選して以来、7期連続で衆院議員を務める。93年通商産業政務次官、97年衆議院外務委員会委員長を経て外務副大臣、自由民主党幹事長代理を歴任した。外務副大臣当時は世界各国の要人と会談して日本の外交力強化に貢献した。安全保障、外交、石油等資源・エネルギー対策、電気通信、科学技術など外交、商工・経済の広範な分野に目を配っている。松下政経塾出身政治家のリーダー的存在でもある。