「工事進行基準」に振り回され
基準不透明で続く混乱
「工事進行基準」がソフト開発業界を揺るがしている。2007年12月に受注ソフト開発プロジェクトにも分割処理を求める同基準の適用が発表されておよそ9か月が経過。しかし現在でも大半のソフト開発会社は、同基準が自社業務に与える影響を自覚しながらも具体的な作業には着手できていないようだ。背景には、「基準の不明確さ」や「情報不足」「“日本版SOX法”対応によるリソース不足」などがある。従来の売上計上の仕方とは異なる「工事進行基準」に、業界は翻弄されている。(木村剛士●取材/文)
■曖昧なままでの開始に怒りの声 まず「工事進行基準」の内容や、適用の経緯を振り返ってみたい。
2007年12月27日、企業会計基準審査委員会は「工事契約に関する会計基準」(企業会計基準第15号)を発表した。一見するとITには関係ない話のように思えるが、この出来事がソフト開発業界を揺るがすきっかけとなった。
これまで土木や建設業を対象とした「工事進行基準」という会計基準を、「受注制作のソフトウェア」にも適用させるというのだ。簡単に言えば、「受託ソフト開発案件で得た売上高と利益を開発(工事)の進捗度に合わせて区切り、分散計上せよ」という“お達し”だ。
日本のソフト開発案件の約9割は、受注制作ソフトが占める(経済産業省、06年特定サービス産業実態調査)。現状、開発会社の大半は、顧客にシステムやソフトを納めた段階で、売上高・利益を一括計上する「工事完成基準」によって会計処理している。となれば、開発会社は、手がける案件のほぼすべてについて完成基準から進行基準への変更作業が必要になる。見積もりやプロジェクト管理手法を見直さなければならなくなり、負担になるのは間違いない。それだけに、昨年末に届いたこのニュースがソフト開発業界に与えたインパクトは大きかった。
あれからほぼ9か月の時が流れたが、ソフト開発会社の混乱は収まっていないようだ。それを印象づけるケースがあった。
「明確な実施基準がみえない現状のままスタートするんですか!」
9月上旬、ある業界団体がITベンダー向けに開いた工事進行基準関連セミナー会場には、怒りを含んだこんな声が響いた。つめかけたIT企業の参加者は250人を超え、会場は満杯。ITベンダーの会計監査に詳しい監査法人担当者が講師になって、進行基準で重要な論点を約1時間解説した。「実施基準がみえないままスタートするのか」は、その後の質疑応答の時間に参加者が発した言葉だ。IT業界の進行基準に対する関心の高さと真剣さ、そして混乱ぶりを印象づけるシーンだった。
■上場企業には“事実上の義務化” では、何が混乱を引き起こしているのか。その要因としては、適用対象が分かりにくく、明確な実施基準がないことがあげられる。
IT企業の会計監査に詳しい岩谷誠治公認会計士によれば、尋ねられる内容で最も多いのは「当社は対象なのかという質問」だそうだ。今回の基準では、開発の1契約ごとに(1)収益総額(2)原価総額(3)決算日における進捗度を見積もることができれば進行基準を適用し、そうでない場合は完成基準としている。この規定の分かりにくさが混乱を引き起こす一つの原因だ。
一部報道では「義務化」と煽るが、正確には義務とされるのではない。岩谷会計士はこう回答する。「上場企業にとっては“事実上の義務化”という言葉が正しい。3要素を満たすことができなければ、確かに完成基準でも構わない。ただ、上場会社が『3要素を満たすことができません』と公言することになる。そんなずさんな管理体制では、ステークホルダーに説明がつかず、企業としての信用失墜につながる」。工事進行基準での会計処理は上場企業として当たり前の対応、「義務なのかそうではないのか」の議論自体が本質から外れているというわけだ。
最低対象金額と工事期間も分かりにくい。
工事進行基準の最低対象金額は10億円という話がある。しかし、これも違う。最低対象金額10億円というのは、あくまで法人税法における「長期大規模工事」の場合。
同法では「長期大規模工事」に該当する工事契約については、進行基準を適用することが強制されている。ややこしいのが、08年に「長期大規模工事」の枠組みが変わり、ソフトウェア開発も対象になり、1契約の金額が50億円から10億円に引き下げられたことだ。今回の「工事契約に関する会計基準」とは全く別の話で、10億円未満のプロジェクトでは工事進行基準でなくてもよいというわけではない。
そして工事期間。基準には「工期がごく短いものは完成基準を適用」としている。この「ごく短い」の期間が明示されていない。岩谷会計士は「これについては明確な期間は今後も出てこないだろう。会計士と企業が相談して、定める以外にはない」としている。
挙げた3項目以外にも不明な点はいくつかある。情報サービス産業協会(JISA)では8月下旬、「『工事契約に関する会計基準』の重要論点解説」を発行、10月には手順マニュアルを出す計画だ。会員企業の混乱を解消しようと策を講じている。
岩谷会計士はこう指摘する。「進行基準の適用開始は09年4月1日から始まる事業年度から。残された時間はあと半年しかない。それにもかかわらず、上場会社は今年度から“日本版SOX法”対応で内部統制の仕組みを構築している真っ最中。時間がないうえに日本版SOX法対応にリソースを取られて人材もいない。対応を来年4月までに終わらせるのはかなり難しいだろう」。
内部統制の仕組み構築に加えて、ソフト産業に求める工事進行基準という会計処理の仕組み。実施基準が不透明なだけに、ソフト開発業界の混乱はしばらく続きそうだ。
岩谷誠治氏 プロフィール
早稲田大学理工学部卒業後、資生堂を経て朝日監査法人(現あずさ監査法人)、アーサーアンダーセンビジネスコンサルティングを経て2001年に独立、岩谷誠治公認会計士事務所を開設。日経ビジネススクール講師も務める。主な書籍に「ビジネスプロセスと会計の接点」「SEが知っておきたい会計の落し穴」「ソフトウェア業における工事進行基準の実務」(いずれも中央経済社刊)など。