週刊BCNで健筆を振るっていただいた中野英嗣さんの訃報が届いた。本名は古谷隆一さん。10月9日、84歳で亡くなられた。肺がんの再発だったそうだ。変だなぁ、古谷さんがお酒を飲んでいる姿は思い浮かぶのだが、煙草を手にするシーンは憶えにない。私の記憶力もこのところ不安に感じることがあるので、自信を持ってはいえないが、ともによく飲んだのは間違いない。深夜、古谷さんのご自宅に上がり込み、翌朝はそこから取材に出かけたこともたびたびあった。ご自宅が市ヶ谷辺りなので、移動に都合が良かった。身勝手で乱暴な話である。


 おつき合いの初めは、1976年前後だった。オフィスコンピューターにスポットライトが当たり始めた頃だ。古谷さんは東北大学理学部で数学を学び、恩師が関係の深かった日本事務器に入社された。そこでコンピューターの自社開発を手がけ、製販の事業展開に挑まれた。当時、こうした挑戦企業が数多く存在したが、その多くが志半ばで事業を縮小・撤退した。ハード、ソフトの技術は日進月歩で、新機種の開発に追われることになる。しかも機械をユーザー企業に設置して終わりではなく、稼働してからシステムのバージョンアップとメンテナンスがついて回る。要するに手がかかり過ぎるのである。それでも国産機のブランドを作ろうと、業界の鼻息は荒かった。

 退社後、ドイツのコンピューターを販売する兼松ニクスドルフ・コンピュータを立ち上げた。さらに、ソード電算機システムの経営にも関与して、ソードOAシステムズの経営に携わり、現役を引退。その後、中野英嗣のペンネームでIT業界の現状と将来を図版と文章で解説した記事を長期にわたって連載していただいた。「IT(情報通信技術)産業ビックバンー50のキーワードと図解で未来を透視」(1998年7月、BCN刊)はコンピューターの歴史を学ぶことができる名著だ。中古本で3000円近い値付けだ。

 引退後はニホンオオカミの研究や蝶類の研究などに情熱と時間をかけてこられた。研究成果がまとまったとき、「おくださん、ニホンオオカミって、三峰神社方面にいるらしいですよ。山に登っていて出くわさないですか」と尋ねられたことがある。学術的な声色と真顔だったものだから、今もって私は、ニホンオオカミは絶滅していないと信じている。

 畏怖の念を抱きながら自然界を研究してこられた古谷さんのご冥福を祈ります。(本紙主幹・奥田喜久男)