波乱の半生を歩んできた。大学卒業後に入社したセガでは、ゲームショーなど展示会の企画担当として大規模プロジェクトを動かす。「大学時代は、卒業してすぐに仕事なんてしたくないと思っていた。セガへの入社は、ゲームセンターで遊んだ投資額を回収しようとゲームメーカーに就職しただけ」。ところが、「入社してからは、もっと面白いことはないかと求めるようになった」と振り返る。その後は映像部門への配属で映画やVシネマのプロデューサーなども務めるが、部門の解体にともない辞職する。
「生きていくうえで必要な“実業”に就きたい」と、スーパーなど流通業を勉強している頃、「パソコンソフト流通に携わってみないかとの誘いを受けた」。入社したのがディストリビュータのソフトウェアジャパンだ。当時は、「Windows95」が国内市場に登場する直前。個人向けソフト市場が形成される幕開けの時期だった。「95」の発売当日には、多くのパソコン専門店が発売記念イベントを実施。「前職でイベントを担当していた経験が生かすことができた」という。会社の業績も順調で、まさに“絶頂期”だった。しかし、同業他社との訴訟問題や資金ショートなどで会社が倒産への坂を転がり始めた。「経営破たんが噂になっていたが、経営者からは何も聞いていない。会社を信じたかった」。顧客や取引先への説明は1日40-50件。ストレスの毎日だった。倒産前夜、逃げるようにオフィスから自宅に帰った時は、「やっと戦争が終わったという気分だった」そうだ。
こうした浮き沈みを経験し、今はソフトメーカーのプロトンで個人向け事業の営業部長として活躍する。「“山谷”でいえば、今は“山”」とのことだ。
プロフィール
高田 信彦
(たかだ のぶひこ)1965年1月30日、兵庫県神戸市出身。信州大学理学部化学科卒業。ゲームメーカーのセガやソフトウェア流通のソフトウェアジャパンなどを経て、03年3月にプロトン入社。現在、第五営業部長として、個人向けソフト販売を指揮する。バックアップソフト「Acronis True Image」の拡販にも貢献している。