社長として、社員に指示を出すだけでなく自らが率先して動く。時には、社員から指摘され、「適切なアドバイスをもらうこともある」とか。手本を見せる指導法は、「体育会系だった時代に身についた」そうだ。「社員やお客さんと一緒に成功したい」との想いが強い。「信頼を築く」ことで日本アスペクト・ソフトウェアを成長させていく。
「体育会系だった」とは、アルペンスキーの選手だった頃を指している。北海道出身でスキーひと筋。小学生ですでにスポンサーがつくほどの才能の持ち主だった。中学1年生の時に道内大会で優勝、全国大会で入賞した。その後、全日本スキー連盟(SAJ)のナショナルチームに最年少で所属している。高校生時代は、勉学とスポーツの両立を目指して海外留学。大学時代は、弱体化しつつあった古豪チームを復活させる中核人物だった。
ワールドカップやヨーロッパカップに出場するなど、1983年から9年間にわたって競技選手として活躍。現役引退後は、ナショナルチームの監督や副会長などを務めた故・八木祐四郎氏に勧められ、同氏が経営していた東京美装興業に入社する。勤務していた時、海外企業との出資をまとめる案件を担当したことがあった。その際、日本企業とは異なった雰囲気を感じ取る。「外資系が多く、しかも全く知らない世界を学びたい」。そういった強い気持ちでIT業界の道を歩み始める。
IT業界では、複数の外資系企業で重要なポストに就いた。その能力に目をつけたのが米アスペクト・ソフトウェア。日本法人社長になるため引き抜かれたのは、「(米本社が)日本法人に異なったカラーを入れたいと考えていたからではないか」とみている。今は、日本市場でのブランド力向上に奔走する。
プロフィール
小枝 逸人
(こえだ はやと)■1968年、北海道出身。83年から9年間、全日本スキー連盟ナショナルチームのアルペン競技選手として活躍。■94年3月、日本大学経済学部卒業。■日本オープンウェーブ・システムズのセールスディレクター、デルのグローバル・セグメント担当ビジネス・ディベロップメント・マネージャなどを歴任。■07年7月、ジェネラル・マネージャとして日本アスペクト・ソフトウェアに入社、同年9月に代表取締役社長に就任。