「落語と営業って、似ているところがあると思う。同じ噺でもしゃべり方によって面白かったり面白くなかったり、同じ製品でも売り方によって売れたり売れなかったり…」。
入社5年目に東日本営業部部門長に就任した村田卓優。全日本学生落語選手権「策伝大賞」を受賞した経歴をもつ。ほかの優勝者は皆、落語家になっている。村田の心も動いたが、「落語家は60歳になって初めて出世するといわれる。それなら会社に就職してからなればいい」と思ってしまったそうだ。
就職活動を行ったのは、時代の寵児ホリエモンが逮捕される前の年。IT系やネットベンチャーを目指す学生が多く、村田もその一人だった。選んだのは、当時、地元の大阪府吹田市に本拠を置いていたネットワークセキュリティ管理製品を販売するエムオーテックスだった。大手ディストリビュータの担当営業からはじまり、1年後に東京配属に。東京と大阪の仕事量の違いに愕然とした。ヘトヘトになった時期もあった。でも、動かなければ製品は売れない。
村田は1日にできることを決める「村田ルール」をつくり、自らを奮い立たせた。「1日30回電話」を実行し、メールの署名には「24時間以内に必ず返信します」と書いた。これを毎日続けたところ、新規案件が増え、受注金額も大きくなった。東京以外の市場にも活動の場を広げて、PC1万台規模の大型導入も実現した。その功績が買われ、社長から『お前、やってみるか』と声がかかり、今年、東日本営業部部門長に就任した。
ある展示イベント。自社ブースでプレゼンした時、オーバーリアクションと、コテコテの大阪弁でまくし立て、笑いを誘った。来場者に「内容はよく分からないけど、おもしろかった」と言ってもらえば、しめたもの。同じモノでも工夫次第で違う結果が現れる。村田は「いまはもう落語家になるよりも、会社をどんどん成長させたいという気持ちが強い」と断言する。
ネットワークセキュリティ管理製品はマイナーな市場で、独特の『固いイメージ』もつきまとう。村田は「そんなことないでっせえ」と、そのイメージを変えていく。(本文敬称略)
プロフィール
村田 卓優
(むらた たかすぐ)1982年生まれ、大阪府吹田市出身。2006年3月に関西大学経済学部を卒業後、同年4月、エムオーテックスに新卒入社。07年6月、東京の拠点に異動し、10年3月から現職。