空前の好景気に沸く、サンフランシスコとシリコンバレー。なかでもサンフランシスコ市内のソーマ(South of Market)と呼ばれる地域は、多くのスタートアップ企業が軒を並べ、成功を夢見る若者たちでにぎわっている。さながら起業バブルだ。その背景にあるものは何か。日本には今後、どのような影響をもたらすのか。(取材・文/畔上文昭)
起業バブルの真っ最中
サンフランシスコの不動産価格は、この2年くらいで2割以上も上昇しているという。地元の不動産会社によると、この傾向はあと2年ほど続くとのこと。リーマン・ショックで不動産投資が止まり、現在の起業ブームに対して物件数が不足しているからだ。現在は不動産投資が活発になり、2年後には需要を満たすと考えられている。ただし、起業ブームがさらに過熱すれば、不動産価格は2年後も上昇を続けているかもしれない。
道路も渋滞し、ランチタイムのレストランには行列が絶えない。エンジニアをはじめとするIT関連の人材が、ベイエリア(サンフランシスコとシリコンバレー)に急増しているのである。
「ベイエリアのバブルは今回で3回目。最初は2000年ごろのドットネットバブル。2回目はグーグルがIPO(株式公開)した頃の2004年。そして今。ここ2年くらい、スタートアップ企業が増えてきた」と、Marin Softwareの三上彩子シニアリリースマネージャーは実感している。
現在はフリーのエンジニアとして活動している上田学氏によると、「エンジニアの給料が上がっている。会社がどんどんできて、エンジニアがまったく足りていない」という。ここ数か月だけでも、上田氏の友人が5人も起業しているとのこと。「Web 2.0の頃よりも過熱している」(上田氏)。
JETRO(日本貿易振興機構)サンフランシスコの師田晃彦次長によると、ベイエリアにおけるベンチャーキャピタル(VC)の投資額は、2000年のドットコムバブルがピークで、100億ドル/四半期に迫る勢いだったという。その2年後には20億ドル以下まで落ち込むが、徐々に回復に向かう。それが2008年のリーマン・ショックによって再度落ち込む。そして、ここ2年では四半期で30億ドルを超えることも多くなったが、まだドットコムバブル時には遠く及ばない。
一方で、起業数は過去最高ともいわれている。Yammerの松原晶子シニアストラテジックアカウントマネージャーは、「タケノコがいっぱい」と、現在の状況を表現する。そのタケノコの多くは、スマートフォンのアプリを手がけるスタートアップ企業だ。アプリは開発規模が小さいので、少ない資金で起業できることから、アイデア一つで勝負する起業家が増えているのだ。
「大手ITベンダーはおまけでアプリをつくっているが、ウェブの縮小版をつくるイメージではうまくいかない。スタートアップ企業は、メインの事業としてアプリに取り組んでいる。その点で大手が入りにくい市場になっている」と上田氏。大手が入ってこない市場というのも、起業ブームを支えているというわけだ。
この傾向が顕著なのが、サンフランシスコ市内のソーマ(South of Market)と呼ばれる地域である。シリコンバレーは遊ぶ場所が少ないために若い人が敬遠し、おしゃれな店が多いサンフランシスコ市内に集まっているというのが、その理由だ。若くて元気な起業家はソーマへと向かう流れができている。
もう一つ、「若い人は、エンタープライズはカッコ悪いというイメージをもっている」(松原シニアストラテジックアカウントマネージャー)ということが挙げられる。鎌倉時代にたとえるなら、エンタープライズ系は公家、コンシューマ向けアプリを開発するスタートアップ企業は血気盛んな鎌倉武士といったイメージだそうだ。
今年の夏、インターンシップとしてシリコンバレーでアプリ開発を経験した日本の学生たち(写真)も同じ意見だ。「企業のニーズに合わせてシステムをつくることに興味が湧かない」と、彼らは口を揃える。コンシューマ向けは、新たなニーズ(市場)をつくるところにおもしろみがあるという。
なお、日本ではゲームアプリが何かと話題だが、ベイエリアでは影が薄くなりつつある。「いずれ全部なくなるのでは」という上田氏の意見は極論にも思えるが、同様の声は多かった。

インターリンクが毎年実施しているインターンシップに参加した(上段左から)大竹雅登さん、山下紘央さん、中岡淳登さん、(下段左から)高橋祐記さん、小林瑞紀さん、野添雄介さん。今年はサンノゼに1か月滞在し、スマートフォン向けアプリの開発を経験した。半数は卒業後すぐにベイエリアで働きたいと考えている。
起業のエコシステム
スマートフォンの登場によって増えたスタートアップ企業だが、現実は厳しい。ベイエリアでは「10社あっても生き残るのは1社くらいなもの」と、MIT/Stanford Venture Lab(VLAB)元会長の節田安伊子氏は語る。エンジェルインベスターであるTazan Internationalの平 強CEOはもっと厳しく考えており、「1000社のうち、うまくいくのは3社」だという。手軽に起業できる分、そのほとんどが姿を消していく運命にある。ただ、それで起業家人生が終わることはない。
シリコンバレーはまったくしぶとい。たとえ失敗しても、その失敗が勲章になる文化というのはよく聞く話。「実際、すごい失敗をしても、まったく恥ずかしがらない。スタートアップを繰り返し、30代や40代でやっと成功するケースがあるのも、ベイエリアの起業家にありがちな不屈の精神を支えている」と、Salesforce.comのジョイコブス久美子シニアローカリゼーションマネジャーは語る。
ベイエリアには、ほかにもスタートアップのための環境が整っている。まずは大学。スタンフォード大学やバークレー大学などは、積極的に留学生を受け入れており、そこに世界中から才能とやる気のある若者が集まる。彼らの夢を支えるべく、ベンチャーキャピタルや豊富な個人資産をもつ成功者が支援する。「全米のベンチャーキャピタルが投資する約4割の資金がシリコンバレーに集まっている」と、JETROの師田次長。2012年の投資額は100億ドル(約9700億円)を超えたという。ちなみに、日本全体のベンチャーキャピタルによる投資額は約1000億円でしかない。
起業家に加えて、優秀なエンジニアのフットワークの軽さもベイエリアの発展を支えている。Twitterでエンジニアとして働く藤井慶太氏は、「オープンソース化」をその要因として挙げる。TwitterでFacebookが開発したオープンソースを活用したり、その逆もあるという。エンジニアは現場で活用していたオープンソースを転職先でも使え、それがエンジニアの流動性を高めている。企業側も即戦力として採用しやすい。
日本オラクルからOracleに移籍したエンジニアの林 秀明氏は、「日本と違い、働く時間に自由がある。家でやってもいい。いつ解雇されるかわからない立場だから、プロフェッショナルでなければならないが、解雇されたとしてもチャンスがいくらでもある。むしろ、解雇されても結果的に成功している人のほうが多い」という。ただ、やるべきことをやるだけでは厳しい。例えば「ミーティングで存在感を示せなければならない」と林氏。その感覚は今も昔もアメリカンだ。
【column】Twitterが地域の治安改善にひと役 Twitterの本社は、サンフランシスコでは治安が悪いとされるテンダーロインという地域にある。本社移転を検討する際、サンフランシスコ市の要請によって、あえて治安の悪い地域を選んだ。サンフランシスコ市の思惑は、元気のいい企業に来てもらうことで地域の治安をよくすることにある。本社が移転したのは2012年06月。いまだに治安がいいとはいえない地域だが、サンフランシスコ市は周辺の再開発も進めており、今後に期待が集まっている。

サンフランシスコ市内のTwitter本社
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