●IoTとクラウド インダストリー4.0で実現することの一つが、デジタル化によるバリューチェーン(商品企画から製造、流通、販売まで)の進化である。
バリューチェーンの各工程からの情報は、ICチップなどを活用したIoTによって取得する。データの格納先は、多くのIoTソリューションがそうしているように、クラウド上のストレージを活用する。また、デジタルバリューチェーンの全体を管理するシステムも、さまざまな企業が利用できるように、クラウド上に構築することが想定される。デジタルバリューチェーンが実現するのは、壮大な共通プラットフォームだ。
インダストリー4.0を実現するにあたっては、各企業が本当にデジタルバリューチェーンに参加できるのか、データの標準化は進むのかなどの課題がでてくると容易に想像できる。課題を解消するには、政治的に主導するような動きも必要だろう。ただし、ITの視点では、後述するAIを除けば、クラウドやIoTといった現時点で実用化しているものばかり。「インダストリー4.0では、今ある技術、普及した安価で使用できる技術を採用する」と尾木副部長が語るように、IT業界としてはインダストリー4.0だからといって身構える必要はない。
セキュアな環境構築に商機
デジタルバリューチェーンで重要となる要素の一つが、セキュリティ対策だ。メーカーや流通をネットワークでつなぎ、クラウドを活用するため、相応のセキュリティを確保しなければいけない。
「インターネットは、水道の蛇口をひねると、飲めない水が出てくるような状態。クリーンにしないといけない。そこで必要となるのが、セキュアなネットワークを構築すること。ドイツは日本に対し、この分野での協力を望んでいる」と尾木副部長。ドイツのアンゲラ・メルケル首相が来日した際、安倍晋三首相にセキュリティ分野での協力を依頼したともいわれている。マイナンバー(社会保障・税番号)制度でセキュアなシステム連携を非常に高度な次元で実現している。ドイツ政府は、そうした日本の実績を評価しているというわけだ。●インダストリー4.0とERP ドイツを代表するITベンダーのSAP。インダストリー4.0では、中心的な役割を担っている。そうした背景もあって、SAPジャパンはインダストリー4.0のための専任部署を立ち上げた。その中心的な役割を担っているのが、村田聡一郎・インダストリークラウド事業統括本部IoT/IR4ディレクターである。
「インダストリー4.0では、消費者の個別ニーズに応える一品物でも、量産品と同様に生産できることを目指す。工場はスマート工場として自律的に動くことで、個別ニーズに対しても効率的に製品を生産できるようになる」と村田ディレクターは、インダストリー4.0における一つの方向性を説明する。いわゆる「マスカスタマイゼーション」の世界である。マスカスタマイゼーションであれば、すでに実現しているコンセプトだが、インダストリー4.0ではIoTが加わることで、一歩前進している。
ただし、「IoTそれ自体が、インダストリー4.0の目的ではない。IoTはビッグデータの発生器。フィジカル(モノ)のデータ化を実現する。そのIoTを使って製造業が儲かるようにする仕組みが、インダストリー4.0ということ。IoTによって得たデータを流通させる。その仕組みは、実はERPそのものである」と村田ディレクターは、SAPの事業領域であるERPとの親和性を説明する(図1)。
工場内の機械や、製造する製品や部品がIoT化しただけでは、見える化を実現するだけにとどまってしまう。「業務プロセスのデジタル化も必要。いわゆるIoP(Internet of Process)。例えば、工場内にはさまざまなメーカーの機械が導入されていて、それらをネットワークでつないで一つの大きな機械として機能させることは難しい。しかし、IoTによってレイヤを一つ上げて、データによる連携を可能にする」と村田ディレクターは語る。ERPが企業の各部門をデータによって横串にするのと同様というわけだ。
また、IoTによって、機械メーカーに依存しないオープンな環境を構築することにもつながる。まさに、バリューチェーンのERP化である。
●中小企業のIT化 中小企業のIT導入推進は、IT業界の長年の課題である。IT導入による効果を疑問視したり、コスト負担を嫌ったりして、中小企業におけるIT化の推進はIT業界の思惑通りには進んできていない。
インダストリー4.0では、製造業各社のIT化が必須となる。IT導入の必要性を感じていなかった中小企業でも、インダストリー4.0のデジタルバリューチェーンに加わるにはIT環境を整備しなければならない。そのため、これまで遅々として進まなかった中小企業のIT化が一気に進むと期待される。
また、巨大なデジタルバリューチェーンの仕組みを利用するというのは、SaaSの志向と似た部分がある。必要な機能を使った分だけ支払うSaaSは、中小企業でも、大企業が使うような高機能なシステムの導入を可能にした。インダストリー4.0でデジタルバリューチェーンの仕組みを整備することにより、大企業の工場と同様の仕組みを導入しやすくなるとの期待がある。インダストリー4.0が目指すのは、大企業の工場を最適化することではない。中小企業を含むバリューチェーン全体の最適化である。
ドイツの製造業は約98%が中小企業で、日本の製造業も似た構造になっている。日本がインダストリー4.0の動きを注目するのは、産業的な構造も関係しているのである。IT業界は「ものすごいビジネスチャンス」(尾木副部長)だと捉えるべきだろう。
インダストリー4.0の最終形は、世界の工場がつながるデジタルバリューチェーンである。「日本の製造業は、そこに気づいていないのではないか。IT業界は、製造業のパートナーとして、日本のメーカーを助けてほしい。日本の製造業は、世界で大きな影響力をもっている。日本が積極的に動くことは、ドイツもアメリカも歓迎するはず」と尾木副部長はIT業界の積極的に参加することを望んでいる。
●AIによるスマート化 
国際大学グローバル・
コミュニケーション・センター
林 雅之
客員研究員 インダストリー4.0は、AI(人工知能)による革命でもある。もちろん、クラウドやビッグデータ、セキュリティなども重要な要素だが、AIを象徴とすると“革命”を説明しやすい。それは、AIがIT業界における重要なキーワードの一つだからだ。
AIは実用化としては発展途上ではあるものの、まずはIoTによって集められたビッグデータの分析として注目されている。いずれは、これまでのITが抱えていた壁を越えるソリューションとなることが期待されている。
インダストリー4.0が目指すことの一つとして、製造スピードの向上がある。これまでの手法ではできなかったスピード化が、IoTによるビッグデータ収集、AIによる分析によって実現することが期待されるのである。また、AIは工場の効率化も担う。ビッグデータの処理はコンピュータの得意分野であり、人間による分析だけでは限界があることから、より高度なデータ分析としてAIが期待されている。
とはいえ、AIはまだ発展途上。人間の代替となるほどの知恵を身につけるのは、ずいぶんと先の話だ。インダストリー4.0におけるAIについて、「スマートマシン」(洋泉社刊)の著者で、国際大学グローバル・コミュニケーション・センターの林雅之客員研究員は「産業機械からデータを収集し、機械の構成変更、故障予測などを自律的に回していくためにAIの活用が期待される。ただ、AI的な故障予知や業務改善の提案には、最終的に人が介在する。その点で、ミッションクリティカルなAIではない。AIの活用は絶対ではない」と考えている。
AIに対しては、自動運転車や人型ロボットなどのように、人間の代替となることが期待される。それらはインターネットに接続され、リアルタイムでさまざまな情報を処理する。一方、インダストリー4.0が対象とする工場は、自動運転車ほどのリアルタイム性を必要としないというわけだ(図2)。
また、SAPジャパンの村田IoT/IR4ディレクターも「インダストリー4.0ではIoTが主で、AIはあまり注力していない。AIはアメリカで取り組まれているというイメージがある」と語る。人間と同等の知能をもったAIの登場を待っていると、インダストリー4.0はいつまでたっても進まないことになってしまう。とはいえ、“革命”を期待されている以上、AIの有効活用には大いに期待したいところだ。
スマート工場は通過点?
インダストリー4.0を推進する背景には、雇用問題もある。少子高齢化が進むと、工場で労働者を確保するのが難しくなる。先進国の高い人件費も、雇用問題の一つ。そのため、工場をスマート化することで、最終的には無人工場の実現が期待される。無人化を実現すれば、新興国との人件費格差の問題も解消される。逆に失業者が出るとの心配から、ドイツでは労働組合による反対運動も起きているという。とはいえ、IT化の行きつく先にAIがあり、ロボット(マシン)との融合が実現すれば、工場に限らず、いずれは多くの仕事がAIを搭載したロボット(スマートマシン)に代替されるようになる。
スマートマシンの登場により、最終的には工場が無人の状態となると考えられる。ただ、それは工場という発想のなかでの話。近い将来、工場がなくなるかもしれないと林客員研究員は考えている。
「2025年には、3Dプリンタで現在のiPhoneと同様の製品を制作できるようになるといわれている。そうなると、現在のような形態の工場の多くは、消えていくのではないか」。
工場が消えても、ITの利活用が世の中から消えるわけではないが、IT業界にも影響がありそうだ。
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