震災後、仙台ITは何が変わった?
東日本大震災以降、宮城県内の情報サービス産業界にいるITベンダー関係者の意識は確実に変化した。今回取材した全員に「震災後、何が変わったのか」。意識の変化を聞いた。
トライポッドワークス
佐々木賢一社長
何十年もIT事業を続ける既存のITベンダーでさえ、独自の商品・サービスをつくる意識が生まれた。ベンチャーのスタートアップも増え成功事例が出て新しいプレーヤーが出てきた。
アンデックス
三嶋 順社長
それまではIT業界の目線で地元の産業界をみて、提案をしていた。だが、震災後は地域産業の目線でみようと、異業種交流が盛んになり、イノベーションが起こった。
トレック
佐々木卓也社長
何も変わっていない。津波で甚大な被害が出た沿岸部が本当の意味で復興しなければ、町づくりや商店街の復活、産業振興などの面でIT業界の出番がない。
トレック
柴崎健一専務取締役
震災直後から首都圏の国内外の有力ITベンダーが仙台に来て、最先端のIT技術を知った。これに刺激を受け、地方から全国、世界に地域のITを発信するという考えが根づいた。
SRA東北
阿部嘉男社長
先端のIT技術を使って新しいコトに取り組み、それを進めなければならないという意識が芽生えた。若くして活躍する人が増え、コミュニティも多くなり地域IT産業が活性化しつつある。
東北インテリジェント通信
志子田有言営業本部ソリューション営業部副長
震災で社会インフラが支障をきたし、通信と情報のあり方の重要性を再認識した。通信の停止を経験し、ネットワーク環境は大きく改善したが、通信会社としてより身を引き締めている。
スプラウトジャパン
山内和彦社長
震災後に「このままではダメだ」と、パイオニア精神が生まれた。エンジニアの独立志向も高まった。だが、この機運も一旦は盛り上がったが、下請け案件の復活で低下している。
宮城県情報サービス産業協会
穴沢芳郎常務理事事務局長
IT業界として、復旧・復興にどう応えるべきかという地域貢献の意識が芽生えた。業界を取り巻くビジネス環境自体は、この5年で波はあったが、それほど落ち込んでいない。
テセラクト
小泉勝志郎社長
IT業界内だけでなく、異業種と交流する機会が増えた。そこに新しい仕事が生まれた。そのなかで、新しいことをやらなければという使命感のような意識が出て、業界は活性化した。
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