アニーリングの性能比較
量子コンピュータの課題は、量子状態が不安定なところにある。電磁波などのノイズにも弱い。そのため、エラー発生率をいかに低く抑えるかが、量子コンピュータの性能をみる指標の一つとなっている。
一方、これまでのコンピュータと同様に、デジタル回路で計算するデジタルアニーラでは、量子状態が不安定なことで発生するエラーの心配はない。長時間、安定した環境で計算処理を実行できるのである。
スペックとしては、D-Waveの量子コンピュータは2048量子ビットのところ、デジタルアニーラは1024量子ビットと半分になる。これについて、富士通の東圭三・AIサービス事業本部本部長は、「量子コンピュータの性能は、ビット数×結合数×精度で把握できる。デジタルアニーラは1024量子ビットだが、結合数は全結合(1023ノード)で、65536階調の精度を誇る。つまり、ビット数×結合数×精度が大きく、安定動作もあって実用性が高いのがデジタルアニーラ」と説明する。
結合数とは、一つの量子ビットに、相互作用の関係がある量子ビットの数を示しており、デジタルアニーラはすべての量子ビットに相互作用が働く。また、階調とは、ビット間の結合精度で、多いほど高精度であることを示す。D-Waveの量子コンピュータは、部分結合(6ノード)で、16階調の精度となっている。「巡回セールスマン問題でたとえると、ノード数が少ない場合、東京周辺の都市は相互関係を計算に入れられるが、大阪との関係は遠くなるイメージ。計算では工夫が必要になる」と東本部長。全結合であれば、東京と大阪の相互関係だけでなく、すべての都市との相互関係を考慮することが可能になる。
一方、NTTなどが取り組む「量子ニューラルネットワーク(QNN)」は、2048量子ビットで全結合、3階調の精度となっている。QNNは光ファイバーを通る光を利用するため、デジタルアニーラと同様、常温で利用できる。デジタルアニーラとQNNは、性能面と運用面で世界をリードしているのである。また、国産勢では、日立とNECもアニーリングマシンの開発に取り組んでいる。NECが取り組むアニーリングマシンは、量子コンピュータでありながら、全結合を実現すると発表している(表1)。
このようにアニーリングマシンが次々と登場する背景には、ビジネスでの活用がみえてきたからだ。なかでも、このところのITトレンドをけん引しているIoTやAIにおいて、アニーリングマシンの適用に現実感が出てきている。
IoTとアニーリング
アニーリングマシンの活用シーンの一つとして、IoTを挙げることができる。例えば、工場に導入されているIoTソリューションは、機械などにセンサを設置して、閾値を超えたらメッセージを送るというものが多い。人間の代わりに機械を監視し、故障などを事前に察知するというわけだ。この取り組みは有効だが、アニーリングマシンを活用すれば、さらに工場内の効率化に貢献することができる。
富士通は、自社工場内にデジタルアニーラを導入し、倉庫部品のピックアップ手順の最適化に取り組んだ(図4)。倉庫に複数の部品を取りに行くにあたっては、経路次第で距離が大きく変わってくる。
富士通では、従来の手順では総距離193.5メートルだったところ、デジタルアニーラで計算した経路にしたところ、138.3メートルに短縮できた。約30%の削減効果である。
さらに富士通は、同工場で部品の配置と棚のレイアウトもデジタルアニーラで計算し、最適化(図5)。これにより、倉庫部品のピックアップにおける月間の移動距離が、約45%削減できたという。
モノがどこにあり、どのように移動したかの把握は、IoTが得意とするところ。工場だけでなく、さまざまなビジネスシーンで応用できそうだ。
機械学習とアニーリング
アニーリングマシンは、AIでの活用も期待されている。なかでもボルツマン機械学習では、アニーリングマシンが有効活用できると考えられている。ボルツマンとは、統計力学の分野で知られる物理学者の名前で、前出のイジングモデルを機械学習に利用することを提唱したため、ボルツマン機械学習と呼ばれる。
ボルツマン機械学習は、イジングモデルにおいて、隣同士の関係性の傾向を学び、最適化問題を解いていく。そのなかで、ボルツマン機械学習は試しにデータを出力する「サンプリング」という処理を行うのだが、そこに膨大な時間が必要なことが課題だった。アニーリングマシンによってサンプリングの処理が高速化するため、ボルツマン機械学習の活用が広がると期待される。
広告表示とアニーリング
リクルートコミュニケーションズは、デジタルアニーラを活用したマーケティングテクノロジーの研究に取り組んでいる。同社はリクルートグループが提供するサービスにおいて、デジタルマーケティングソリューションの開発やメディアの制作・宣伝などのマーケティング・コミュニケーションを担っている。
デジタルマーケティング分野では、個々のサービス利用者の嗜好に合わせて最適な広告やコンテンツを提供するなど、組み合わせ最適化問題が多く存在している。広告やコンテンツなどは瞬時に表示することが求められるため、従来のコンピュータでは、サービス利用者の属性の種類を絞らざるを得ない状況にあった。組み合わせ最適化問題を高速に解くことができるアニーリングマシンが必要とされるのは、そのためだ。
組み合わせ最適化問題の解決を得意とするアニーリングマシンは、ほかにもさまざまな分野での活用が期待される。例えば、金融分野では、分散投資のための最適な組み合わせを提案するといったことに活用できる。また、創薬の分野では、分子構造の類似性を検索することで特徴解析などに応用でき、物流分野においては巡回セールスマン問題に対する計算手法がそのまま適用される。以上のように、アニーリングマシンの適用範囲は実に広い。しかも、すでに活用できる環境があることを意識しておくべきだ
国産初のイジングマシン
「量子ニューラルネットワーク」は量子コンピュータではない!?
NTTや国立情報学研究所などが開発した「量子ニューラルネットワーク(QNN)」が昨年の11月27日、一般に無償で公開された。ウェブサイト経由で誰でも利用することができる。QNNの最大の特徴は、光の量子力学的な特性を利用しており、室温で稼働すること。量子力学的な特性を利用するため、国内初の量子コンピュータということだったが、内閣府は当面、「量子コンピュータ」と呼ばないことを決めた。QNNには従来のコンピュータと同様の電子回路が組み込まれているとして、計算速度の向上が量子力学的な効果によるものかどうかなどが疑われている。
とはいえ、イジングマシンとして機能することに変わりはなく、他のアニーリングマシンと同様に、組み合わせ最適化問題などでの活用が期待される。
光ファイバーを使用した計算回路
QNNの特徴は、「光パラメトリック発信器(OPO)」と呼ばれる光(レーザー)の量子力学的特性を用いて計算するところにある。光を利用するため、既存の量子コンピュータのように絶対零度近くまで冷却する必要がなく、室温で利用できる。必要なのは、回路内の安定性を確保するために温度を一定に保つ程度。振動に弱いとの声もあるが、大がかりな冷却設備が不要なため、一般的なマシンルームに置くことができる。
QNNが計算回路で使用するのは、1kmの光ファイバーとパルス生成器、パルス結合器。その回路に複数個のOPOパルスを周回させると、OPOパルス群が全体として最も安定した位相の組み合わせをとり、それが解となる。つまり、OPOパルスの数は量子ビットの数そのもの。今回公開されたQNNでは、2000個のOPOパルスを使用するため、2000量子ビットということになる。
QNNの開発費用は1億円程度。小型で消費電力が小さく、室温で稼働し、価格も安い。公開されているQNNは2000量子ビットだが、OPOパルスの周波数を変えるなどの対応で、10万量子ビットの実現もみえているという。量子コンピュータではないとしても、量子コンピュータ以上のポテンシャルをもっているのである。
実用化の見通しは2023年
NECは研究者を増員し 新量子素子で完成目指す
NECは1月23日、コヒーレンス時間(量子状態時間)を大幅に向上可能な方式の実証を完了したと発表した。量子コンピュータのコヒーレンス時間は、多くが1秒を大きく下回るナノ秒の世界にとどまっている。量子コンピュータを使った計算はコヒーレンス時間に収まる処理に限られるため、その時間は長いほうがいい。
NECは今回、量子状態を長く保つための新量子素子を開発。その新量子素子間は密に結合しており、スケーラブルに拡張可能な量子素子間ネットワークを構成する。デジタルアニーラやQNNと同様、ノードの全結合を実現するのである。
ただ、残念なのは、実用化の見通しが2023年ということ。IBMが20年頃に量子ゲート方式が一般に使われ始めるとしていることから、新量子素子がすばらしいとしても、やや遅い印象を受ける。ちなみに、1999年に超伝導固体素子を用いた量子ビットの動作実証に世界で初めて成功したのはNECだが、製品化には至っていない。研究開発力はあるだけに、今後の展開を期待したい。