「競争」と「協業」で日本をアップデート

 週刊BCNが40年間にわたって追いかけてきたIT流通の世界は、テクノロジーの進化とともに複雑かつ多様な進化を遂げている。もはやそれは「ITビジネスエコシステム」を形成する主要なパーツと捉えたほうが理解しやすいかもしれない。地方やSMBも含めた日本社会のDX推進においては、ITビジネスエコシステムのダイナミズムが成否のカギを握る。そしてその中核を成すのが、ITディストリビューターだ。業界のキーマンとも言える大手ディストリビューター4社のトップが一堂に会し、BCN創業者・週刊BCN主幹の奥田喜久男とともに、IT市場の来し方行く末を語り合った。
(構成・文/本多和幸  撮影/大星直輝)

■参加者
SB C&S 代表取締役社長 兼 CEO 溝口泰雄

シネックスジャパン 代表取締役社長 國持重隆

ダイワボウ情報システム 代表取締役社長 松本裕之

ネットワールド 代表取締役社長 森田晶一

モデレーター
BCN代表取締役会長兼社長・週刊BCN主幹 奥田喜久男

紆余曲折を経て生き残った老舗大手各社のストーリー

「NetWare」が育てたコンピューターのビジネス利用

奥田 ディストリビューターというのは、業界の中でもなかなか個性が強い方々が多いですが、これだけの大物に一堂に集まっていただいてうれしいですね。何を話そうか考えましたが、過去の話を3割、あとは未来の話をしましょう。

 週刊BCNは今年で創刊40周年ですが、ソフトバンクと同い年です。(シネックスジャパンの前身の)関東電子は1962年設立ですからこの中では一番古いですね。ダイワボウ情報システム(DIS)とも(実質的な創業者である)山村(滋)さんの頃からのお付き合いですし、ネットワールドも紆余曲折がありましたね。
 
モデレーター
BCN
代表取締役会長兼社長・週刊BCN主幹
奥田喜久男

 記者として最前線で皆さんの努力を見てきて、そんなに簡単に生き残ってこられたわけじゃないことを知っています。まずはどんな打ち手の結果として各社の今があるのか、開陳していただけますか。年齢順に行きましょうか(笑)、森田さん。

森田 一番バッターは緊張しますね。(サーバー専用のネットワークOSである)「NetWare」を提供していたノベルのディストリビューターとして、31年前に二つの会社がスタートしたのが当社の源流です。もともとのネットワールドという会社と、ネットサーブという会社ですね。それぞれ大塚商会とマクニカが株主でした。私は95年にネットサーブに加わったんですが、もともとはコンピューターメーカーにもいましたので、非常に面白いビジネスだと思いました。でも、これは調子が良かったから面白かったんですね。ご存じのように、ノベルの勢いが90年代後半に急速に衰えてしまって大きく状況が変わりました。

 元のネットワールドもネットサーブも、親会社はいますから別に潰れはしないんですが、周りの人達からいろんな提案があって、2000年の合併に至るわけです。そんなことがあって、会社っていうのは勝ち残らないとつまらないもんだなというのを身に染みて感じまして。とにかく勝たないと駄目なんだと。合併した後、微力ながら仲間たちと一生懸命やって、負けないくらいには何とか生き残っているというところでしょうか。
 
ネットワールド
代表取締役社長 森田晶一

奥田 森田さん、いつも控えめだけど、今日は控えめでなくていいからね。

森田 いやいや、私は控えめな人間ですから(笑)。

 私自身は98年に契約したシトリックスとのお付き合いが非常に印象に残っています。テクノロジーに惚れ込んで、ぜひディストリビューターになりたいということで、自分で拙い英語で20枚くらいの提案書を書いて。気持ちが認められた部分もあるかもしれませんが、ディストリビューターにしてもらえたんです。合併した後にこのビジネスが急速に伸びまして、株主に「3年間はコミットする。3年後からは知りません、私がいるかどうかも分からない」と言った記憶があります。本当に苦しいときに助けてくれたシトリックスとの縁には、いまだに感謝しているんですね。

 それと、ヴイエムウェアとの本当に幸運な出会いがあって、いまだに紹介していただいた元IBMの方などにお会いするとお酒の数杯ぐらいはご馳走いたしまして昔話をします。すごく光り輝くような経歴ではないかもしれませんが、残ってくれた仲間たちと楽しい仕事ができたというか、なんといっても幸せだったなと思っています。

奥田 年齢順だと、次は溝口さんですね。どうぞ。

溝口 まずは創刊40周年おめでとうございます。私自身も業界歴が40年ぐらいになります。昔はBCNの同業者も結構ありましたけど、ほぼなくなってしまいましたよね。森田さんもおっしゃいましたが、勝ち残っているというのは素晴らしい。
 
SB C&S
代表取締役社長 兼 CEO 溝口泰雄

奥田 お互いに、ですよね。

溝口 ソフトバンクグループの祖業であるディストリビューター事業は、孫(正義・ソフトバンクグループ会長兼社長)が初めてゲームソフトの流通をつくったことで立ち上がりました。PCがホビーの領域から浸透して、当初は我々の事業もそこに位置していたわけですが、「一太郎」や「Lotus 1-2-3」などの登場で、PCはビジネスに使えるぞと業界が変わっていった。これは非常に大きな転換点だったと思うんです。

 さらに、先ほど森田さんがノベルの話をされましたが、NetWareが出てきて、コンピューターをネットワーク上で動かす時代が来た。当時はファイルサーバーとしての利用程度でしたけど、あれも法人向けIT市場を育てるキーファクターになったと思うんですね。

 それ以降は“Wintel”の時代になって、マイクロソフトのOSとインテルのチップがアップグレードする度に新しいキラーアプリケーションが出るという繰り返しになりましたが、その動きを先取りしてビジネスをやってこられたという自負はあります。PCソフト流通から始めて、シスコなどネットワークの先進製品を持ってきたり、節目節目でポイントがありました。

 同時に、「ザ・コン」を孫と一緒につくって、それがPCの普及に……

奥田 溝口さん、ザ・コンって言っても若い人は分からないかもしれませんよ。

溝口 失礼しました(笑)。秋葉原にラオックスと共同で「ザ・コンピュータ館」(07年閉店、かつては秋葉原の象徴だった)というPC専門店をつくって、家電量販店がコンピューターを本格的に売る、そして世間の皆さんがPCを認知する場をつくってきたんですね。

 さらに時代が流れ、インターネットの時代になると、OSとチップが変わっても以前ほど面白いことは起こらなくなった。インターネットを経由して新しいサービスがどんどん提供され、世の中を動かすようになってきたわけです。そうしてクラウドが台頭する中でも、ポイントになるビジネスをいち早く手掛けられたという思いはあります。

奥田 溝口さんとは特に付き合いが長いから聞いちゃうんだけど、ソフトバンクグループはファンド事業を手掛けて、グループ全体としてもどんどん事業が多角化しましたよね。その中でSB C&Sは創業からの事業をやっていらっしゃる。これは溝口さんだからここまで来たのか、それとも溝口さんでなくても今の形があるのか、どう思います?

溝口 なかなか答えづらい質問ですね……。僕がいなくてもちゃんとやってきたとは思いますけど、生き残っているんだから何かの役には立ったんでしょうね。トラディショナルなビジネスモデルですけど、主力商材のニーズが一気に縮小してすごく大変な時期もありました。それでも業態を変えて成長を継続できましたし、そういう挑戦を楽しんでこられたとは思っています。