野村総合研究所(NRI)は、地域産業の創出を促す「イノベーション・プログラム」を通じて、過去8年間に起業家650人余りを支援し、約140件の新規事業構想、25の新会社の立ち上げに関与してきた。イノベーション・プログラムの狙いは「ゼロからイチを創り出す起業家」の発掘にある。事業にはヒト・モノ・カネが必要になるが、モノについては地域ならでは観光や農林水産の資源があり、カネについても地銀や信金がある。絶対的に不足しているのは「起業するヒトだ」と、同プログラムを立ち上げた齊藤義明・未来創発センター2030年研究室長は話す。NRIが取り組む地域の産業振興をレポートする。
(取材・文/安藤章司)
「ゼロからイチ」を創出
NRIが地域産業を創り出す際に「ゼロからイチを創り出す人材」を重視するのは、ヒト・モノ・カネの中で、“ヒト”である起業家が圧倒的に少ないからだ。すでにある事業を大きく育てたり、他の地域の成功モデルを横展開したり、市場のニーズを的確に捉えたりする経営者は存在しても、そうした人材だけで「新しい産業を生み出すには力不足ということがNRIの『2030年研究室』の研究によって明らかになった」と、12年に同研究室を立ち上げた齊藤室長は話す。
齊藤義明 室長
2030年研究室は、地域産業の革新者となるイノベーター(起業家)を見つけ出し、ネットワーク化することから始めた。地域に点在する100人のイノベーターを調査し、イノベーションのパターンや障壁となっている部分を調べたところ、「ゼロからイチを創り出す」というイノベーター支援の枠組みが十分に機能していないことが明らかになった。
市場規模が限られている地域では、市場のニーズよりも起業家のやりたいこと、情熱を注ぎやすい対象、願望の実現といった動機づけのほうが、「ゼロからイチを創り出すような起業に結びつきやすい」と齊藤室長は指摘。だが、そうした「起業家個人の願望には、金融機関や経営コンサルタント、投資家は手を差し伸べにくいのが実情」だという。NRI自身もSIerとしてユーザー企業のさまざまな課題を解決しているが、市場ニーズよりも情熱を優先する起業家への支援は、「SIerが得意とするような課題解決型のアプローチにそぐわない」と齊藤室長は指摘する。
そこで、15年にスタートした「イノベーション・プログラム」では、地場の銀行や信金、自治体、商工会などを巻き込みつつ、地域の起業家同士を結びつけてチームをつくり、熱量を最大限に引き出して事業化までこぎ着ける支援を重点的に行うことにした。
アイデアソンや起業コンテストを開催する地域は比較的多く見られたが、この方式では「大都市部を除いて2回目以降、応募する人がいなくなるケースが散見された」(齊藤室長)という。人材が非常に限られた地域で継続的に起業家を集め続けるには、起業家を発掘して、情熱をくみ取り、事業化へと結びつけていく支援が欠かせない。投資してすぐに回収できないとしても、中長期的に見れば地域産業を支える人材層を厚くし、産業の集積度を高める効果が期待できると、全国を行脚して説得して回った。
地元金融機関との関係を重視
NRIのそうした訴えに最初に応えてくれたのが北海道帯広市など19市町村からなる十勝地域だ。イノベーション・プログラムにいちばん早く参加を表明。地元金融機関の帯広信用金庫と帯広市が主催し、NRIが協力するかたちでプログラムがスタートした。アイデアソンでもコンテストでもなく、情熱や願望がある起業家志望の人に集まってもらい、その熱意を語ってもらう場である。
参加者は地元企業の経営者やその跡継ぎ、個人事業主、会社員、U/Iターン組など。さまざまな人が熱く語り合ううちに自然とチームができて起業へとつながる。その様子を主催者である金融機関が見て、必要に応じて資金的な援助を行う。「期間限定になりがちな補助金に頼るのではなく、できる限り地元に密着した金融機関に主催者として中長期的に加わってもらうよう努めている」(齊藤室長)とし、地域に根ざした金融機関と起業家が継続的な関わりをもってもらうことに重点を置く。
過去8年間を振り返るとイノベーション・プログラムは、15年に十勝地域から始まって17年に沖縄県、18年に新潟県、山陰(島根県、鳥取県)、そしてコロナ禍を経て22年12月に鶴岡市(山形県)が新たに加わった(図参照)。沖縄は野村證券、山陰は山陰合同銀行、新潟は第四北越フィナンシャルグループと野村證券、鶴岡は荘内銀行と5カ所すべてのプログラムの主催として金融機関に加わってもらい、継続的に起業家を支援できる体制づくりにこだわった。
その成果として、これまでに650人余りの起業家を輩出。約140件の新規事業構想を創出し、新会社25社の立ち上げのきっかけとしてイノベーション・プログラムが活用されている。直近の鶴岡では金融機関のほかにも、共催として庄内地域産業振興センターや鶴岡商工会議所、出羽商工会など地元経済界も参加。地域全体でイノベーション・プログラムに理解を示していることがうかがえる。
地域の選定に際してNRIでは、地域産業の創出を促すプログラムの趣旨を踏まえ、産業集積度が高い太平洋ベルト地帯を除いたすべての地域を対象にしている。対象地域のすべての金融機関や経済団体などに「分け隔てなく声をかけて、賛同してくれた地域でプログラムを実施してきた」と齊藤室長は話す。
コロナ禍での行動制限は「過去8年でもっとも苦しい時期だった」と振り返る。同プログラムはオンラインを活用して継続したものの、新しい地域でプログラム立ち上げに苦心した。そうしたなかでの鶴岡での新規プログラムのスタートは同プログラムの再スタートを象徴する出来事となった。
地域資源を活用した起業が相次ぐ
実際にイノベーション・プログラムがきっかけでどのような事業が創出できたかをみると、地域の観光や農林水産の資源を有効活用したケースが目立つ。もともと地元愛が強い起業家が多いこともあり、地域にある資源を使い、地元金融機関の支援によって地域産業に必要なヒト・モノ・カネを揃えるパターンだ。
プログラムにもっとも早く参加した十勝では、地場の観光資源でもある「ばんえい競走」で使われている体格のよい馬に馬車をひかせる「馬車BAR」を立ち上げた。帯広市内のホテル「ヌプカ」を起点に約2キロメートルのコースを50分ほどかけて巡回し、馬車に乗りながら地元のビールやおつまみを楽しめる。ばんえい馬がひく馬車をバーとして使うサービスは世界初だという。
また、帯広市から約35キロメートル離れた本別町に本社を置くKOYA.labは「タイニーハウス」のサービスをスタート。自動車でけん引できる移動式の「小さな家」を貸し出すサービスで、例えば「十勝平野を一望できる」あるいは「町の灯りが届かないため、星空を存分に楽しめる」「森林浴ができる」といったおすすめスポットまで移動し、そこで寝泊まりできる。タイニーハウスには台所や手洗い、シャワーが小さいながらも揃えてあるため、キャンプするよりも手軽なのが売りだ。
帯広市から約37キロメートルほど離れた上士幌町のFantは、狩猟者向けプラットフォーム「Fant(ファント)」の運営に乗り出した。狩猟者と野生鳥獣の肉を使う飲食店などの購入者をつなぐサービスで、地元の狩猟産業の振興や十勝地区ならではのジビエ料理を振る舞うことで差別化を図ろうとする飲食店やホテルのビジネスに役立っている。馬車BAR、タイニーハウス、Fantのいずれも地場の観光資源を有効活用した「地域資源活用型の好事例」だと齊藤室長は話す。
イノベーション・プログラムを通じて立ち上がったサービスのなかには、日本航空のマイレージ交換やふるさと納税の返礼品の対象になることで新規顧客の開拓につなげているケースもある。ほかにも沖縄の地元不動産会社が那覇市内の老朽化したマンションを改修してスタートアップ企業に貸し出したり、オフィスや店舗、作業場として活用してもらったりするサービスを生み出している。
NRIが手がけるシステム構築やコンサルティングは、大手企業向けであることが多く、地域産業の創出を促すイノベーション・プログラムは「異色の取り組み」(齊藤室長)。それでも他社が手がけない新しいアプローチで地方創生に迫る価値や、プログラムに賛同してくれる地域の金融機関、経済界との関係強化はNRIの既存ビジネスにもプラスになるため、今後もプログラムの活性化に努めていく方針だ。