三菱電機が、デジタル基盤「Serendie」(セレンディ)による事業変革を加速させている。FA(ファクトリーオートメーション)やビル、発電、鉄道から、空調をはじめとする家庭電器に至るまで、幅広い事業で得られるデータを基盤上で集約・分析し、事業横断型の新たなソリューションを創出する取り組みだ。しかし、三菱電機はソフトウェアベンダーを目指すわけではない。あくまでハードウェアに軸足を置き、製造業としてさらなる進化を遂げようとしている。
(取材・文/藤岡 堯)
変革を実現する基盤
Serendieの発端は、三菱電機が「循環型デジタル・エンジニアリング企業」への変革を打ち出したことにある。三菱電機では、パワーエレクトロニクス領域において電力需給の管理や電源運用などを支える「BLEnDer」、スマートシティー・ビル向けのIoT基盤である「Ville-feuille」(ヴィルフィーユ)など、ハードウェアとひも付くデジタルソリューションを事業領域ごとに有している。一方、それぞれの事業領域の枠組みを超えてデータを連携させ、製品・サービスに反映させる取り組みは不十分だったという。
そこで打ち出されたのが、循環型デジタル・エンジニアリングの発想だ。個別のソリューションから集めた顧客の利用データを活用し、顧客の潜在課題やニーズを把握した上で、ハードウェアの進化や統合的なソリューションの開発を図り、顧客へ価値を再び還元する。その円環による事業の成長・高度化が循環型デジタル・エンジニアリングの目指す姿であり、これを実現するための基盤がSerendieとなる。
Serendie関連事業の推進組織として立ち上げられたDXイノベーションセンター(DIC)の副センター長を務める竹田昌弘・戦略企画部部長は「これまでの事業から“飛び地”で新しいことをするのではない。私たちがメインとしてきたビルシステムや空調、FA、交通、電力といったビジネスにおけるハードウェアに、データの力でさらなる価値を加えると考えてほしい」と語る。
竹田昌弘
副センター長
その上で「事業ごとのシステムだけでは、三菱電機全体の総合力が発揮できない。マイクロサービスの考え方を取り込んで、互いが持っている機能やデータを活用できるプラットフォームをつくり、当社のアセット、技術による新しいサービスを生み出しやすい環境を整備するという考え方だ」と説明する。そこには、自社内だけでなく、パートナーや顧客、時には競合他社が持つデータやシステムとの連携による共創も含まれている。
背景にあるのは、製造業者としての危機感だ。三菱電機はグローバルで競争力のある製品を数多く有している。しかし、厳しい競争の中で、少しでも提供できる価値が下がれば、簡単にシェアを失ってしまう。「今、グローバルで戦えている製品の価値を上げるための仕組み」(竹田副センター長)として、Serendieは存在するのである。
製品に付加価値を与える際に起点となる要素は「お客様の悩み、課題」であり、実際の利用データを分析しながら、顧客と対話を重ね、困りごとを解決する。ハードウェア開発のウォーターフォール的な手法とは異なり、アジャイルに開発し、短期間での解決が求められる。加えて、ハードウェアは売り切りの要素が強いビジネスであったのに対し、今後は継続的にサービスを提供するための仕組みづくりも必要となる。
竹田副センター長は「これまでの三菱電機がサッカーをしていたとすれば、これからは野球を始めるイメージだ」と例える。同じ球技ではあるが、全く別の競技に挑むほど難しいというわけだ。
「技術」「共創」「人財」「プロジェクト推進」
このハードルをクリアするため、Serendieは「技術」「共創」「人財」「プロジェクト推進」の4基盤をそろえている(図参照)。
技術基盤は野球で例えると、バットやボール、グラブなどの道具に相当し、具体的には「データ分析基盤」「WebAPI連携基盤」「サブスクリプション管理基盤」「お客様情報基盤」の機能に分けられる。集めたデータを分析基盤で活用するとともに、各システムの機能をWebAPI経由でつなぎ、統合的なソリューションを開発する。ソリューションはサブスクリプションで提供されるため、それを管理するツールも求められる。
自社で全ての機能をそろえるのは現実的ではなく、迅速なサービス開発にリソースを集中する観点から、これらの多くの機能は、市場で実績のあるパートナーのソリューションを中心に構成する。データプールには「Snowflake」、分析ツールとして「Dataiku」や「dotData」「Tableau」などを導入。サービス開発の肝となるWebAPIは「MuleSoft」を採用し、外部を含めた多様なシステムとの連携を容易にしている。サブスクリプション管理には「Zuora」を取り入れた。
共創基盤は「野球場」や「練習場所」と言える。三菱電機ではSerendie関連事業の開始にあたって、横浜市内の2カ所に「Serendie Street Yokohama」と称する施設を整備し、社内のDX人材を集約している。2025年1月には、みなとみらい地区に位置する横浜アイマークプレイス内の拠点に、社外との共創エリアを開設した。完成品を展示するショールームではなく、要素技術などを顧客やパートナーに提示しながら対話を深め、最終的なソリューションに落とし込む場所として利用していく。
新たに設けられた共創エリア。
顧客との対話を重ね、アジャイルな開発につなげていく
人財基盤は選手育成だ。事業に必要となる各種スキルセットを定義し、イネーブルメントを行う。プロジェクト推進基盤は「ルール」の位置付けで、アジャイル開発をはじめ、プロジェクトを円滑かつ迅速に進めるためのフレームワークを定着させる仕組みとなる。この四つの基盤を活用し、DICが各事業部門と伴走しながら、新しいビジネスモデルの浸透を進めている。
実際に試合(=事業)をするのはDICではなく、あくまでそれぞれの事業部門である。しかし、単に道具を提供するだけでは、バットやグラブの使い方も知らない人は野球をできない。世界標準に則った全社共通のルールを定めなければ、事業部門ごとにサイロ化し、ローカルルールで試合することにもなりかねない。技術基盤にとどまらず、多様な役割を有するSerendieを通じて、全社を挙げて、新たなビジネスモデルに適合していく構えだ。
Serendieによる具体的なソリューションも出始めてきた。鉄道事業における、エネルギーの最適利用や鉄道設備の最適配置・運用に向けたデータ分析サービスはその一つだ。
例えば、電車では減速時に発生する余剰エネルギーを回生電力として再利用しているものの、発生した回生電力を使うほかの電車が近くにいないといった理由で、電力を消費しきれないケースも少なくない。この課題に対し、車両や変電所、駅の電力使用量、列車の運行状況などを横断的に分析することで、余剰な回生電力を可視化してマッピングし、余剰電力を駅の電気設備に供給する装置の適切な設置場所や、運行ダイヤなどに応じた鉄道設備の運用方法を提案する。交通システムやパワーエレクトロニクスといった複数領域で培った知見と、顧客のデータを組み合わせ、課題解決につなげるかたちだ。
この分析サービスは顧客の状況に応じた個別開発に近いケースとなるものの、竹田副センター長は「スタート時点では個別に手掛けることになるが、件数が増えるにつれ、業界ごとにいろいろなことが見えてくれば、パッケージ化することも考えられる」と見通す。
パートナーの課題解決力に期待
今後の成長に向けては、パートナーの果たす役割も大きい。現状でも、事業領域ごとで機器やシステムの実装、SIなどを担うパートナーと協力してビジネスを展開しており、「(パートナーは)お客様に近いところで課題を聞き、三菱電機の製品のことも、他社製品のことも理解している。彼らとどう取り組んでいくかは、プラットフォームビジネスを進める上で重要だ」(竹田副センター)と述べ、顧客への理解が深いパートナーの課題解決力に期待を寄せる。特にユーザー数がふくれあがるFAやビルシステムについては、三菱電機だけでの対応は困難であり、パートナーが力を発揮できる領域は広がるだろう。
Serendieの関連事業は、コンポーネント(ハードウェア)から集めたデータを活用して顧客の課題を見つけ、解決策を提供するソリューション事業と、データを収集するためのコンポーネントそのものを扱う事業の2軸で展開し、現状の売上高規模は前者が約4割、後者が約6割のところ、ソリューション事業の拡大によりこの比率を逆転したいという。数字面では、30年度までに売上高1兆1000億円、営業利益率23%を目標に据える。23年度は売上高が6400億円、営業利益率16%であり、容易な数字ではない。竹田副センター長は「サービスをしっかりローンチし、一つ一つ積み重ねていくしかない。25年度はサービスをどのくらいのスピードで出していけるか、勝負の年になる」と意気込む。
Serendieは「思いがけない発見」や「偶然がもたらす幸運」を意味する。「Serendipity」(セレンディピティ)と「Digital Engineering」を掛け合わせて命名された。一般的に、セレンディピティは、運や偶然に身を任せるのではなく、能動的に動いた結果として得られる幸運だとされている。旧来型のハードウェアビジネスからの変革へ力強く踏み出した三菱電機は、新たな幸せをつかみとることができるだろうか。