低粗利でまず市場拡大

メルコ

 今年10月7日に店頭登録したメルコ。パソコン用周辺機器メーカーでは、I・Oデータ機器に次いで2社目の店頭登録企業となった。「店頭登録のできる規模にまで成長できたのは、うちとI・Oデータさんが市場競争を繰り広げてきたから。競争することによって2社は成長してきた」とメルコ・牧誠社長は語る。「ひとつのメーカーの商品ですべてのユーザーをカバーするのは無理だし、よくない。2、3のメーカーがガッチリと組み合って競争することにより、マーケットは拡大するし、ユーザーは満足を得られる」。こうしたマーケット理論を持ち、自らそれを実践してきた牧社長に、メルコの将来像、そしてコンピュータマーケットの方向性を聞いた。(聞き手・本紙主幹 奥田喜久男)
 

●伸びている分野はたくさんある


牧 私は最近、コンピュータニュースを読みたくない。紙面が暗い話題ばかりだからです。パソコンのマーケットが本当に暗い話題ばかりなのか。そのあたりを大変疑問に思っています。市場の分析の仕方が一方向に占寄っているのではという気がするのです。あらゆる角度、細かな視点から見た記事が欠けているのではないかと思う。

-パソコン市場を総体的に見ると、確かに前年同期に比べ主要メーカー・主要ディーラーの伸び率は鈍化しています。紙面にもそのあたりが色濃く出ていますね。

牧 私は、パソコン市場はまだ伸びていると認識しています。例えば、パソコン本体とは別に、周辺機器やソフトウェアの動きはどうか。周辺機器のなかでも、メモリーボード、ハードディスク、プリンタなどは順調に伸びていますよ。すべてが暗い話題とはいえないはずです。パソコン本体も、確かに金額べースでは伸びが落ちているようですが、台数ベースではノートブック型パソコンなどにより増えています。台数が増えていれば、周辺機器メーカー、ソフトハウスにとっては市場が拡大しているんです。コンピュータニュースの読者層は重要なポジションの方が多く、コンピュータ業界への影響力も大きい。それだけに、総体的な見方に加えて、様々な視点とくにミクロにも踏み込んだ記事を期待します。

-わかりました。ところで牧社長は現在のパソコン業界をどのように分析されていますか。

牧 業界全体に構造変革が起こっているのは事実です。しかし、市場はまだまだ拡大の途上にありますし、情報機器全体のなかでもパソコンの成長が最も有望なのはもちろんです。よく、米国は年間800万台のパソコンが出荷され、国内は200万台の出荷だから、人口比から見てもまだまだ成長の余地があるといわれますが、私は別の見方をしています。

 日本にはパーソナルワープロという特別な市場がありますが、この分野だけで年間200万台の市場規模がある。パソコンとワープロを合わせると400万台規模の市場になる。日米の人口比と同一になります。ですから、それだけ数は普及していると。そこで問題はパーソナルワープロをいかにパソコンに振り替えるかということになります。同様にオフィスコンピュータの市場をどうやってパソコンに振り替えていくかの視点も必要です。もう一つの問題は、市場競争の在り方です。

 小さい市場を1社で独占するよりも、市場を大きくして、そのなかでいくらかのシェアを握るという方が、売上げも大きくなるし、企業も成長できる。ひとつのメーカーの製品が独占するのはいいことではない。2、3のメーカーがガッチリと組み合って競争していくのが理想です。そうすることで市場は拡大するし、ユーザーによりよいものを提供できるようになります。

 周辺機器メーカーでは、うちとI・Oデータ機器さんの2社が店頭公開を行いましたが、2社が競争したからこそ、両者が伸びたし、店頭公開できたと思っています。メモリボードの市場を急速に拡大させた上でシェアを取り合い、結果的に両社の売上が伸びたのです。「技術のI・O」、「商売のメルコ」なんていわれますが、技術でも負けていませんよ(笑)EMSを提唱して、定着させたのは我々なんですから。

-メルコさんの店頭公開は、パソコン業界にとっても大きな意味をもっています。店頭公開までの道のりを聞かせてください。

牧 大学時代は応用物理学専攻、大学院では半導体の表面物性についての研究をしていました。73年の卒業後、半導体関係の企業に就職しようとしたのですが、当時はまったく求人のない時代でした。そこで、自分の趣味を活かせるオーディオのメーカーに就職しました。 その後、名古屋に帰りまして、そこでも半導体の企業に就職しようと考えていたのですがもともと名古屋には半導体、弱電のメーカーがない。(笑)

 それならばと、自分で独立しましてオーディオの4畳半メーカーとして再スタートを切ったのです。これが75年。私が物を作り、友人が物を売るというスタイルでした。ところが最初の1年はうまくいったのですが、その後、まったく入金がなくなって、主力商品のオーディオアンプも無鉄砲に作ってしまったものだから部屋中在庫の山で(笑)。

 仕方がなく、トラックにアンプを満載して、自分で全国に売り歩いたのです。営業のノウハウなんてありませんから、取り合えず、商品を持ち込んで、音を聞いてもらう。そして、道のすいている夜中に自分で車を運転して次の都市まで移動して、そこでまた、店に飛び込んで聞いて貰うといったことの繰り返しでした。


●2社の切磋琢磨が効いた


-それは売れたのですか。

牧 実は全然売れなかった。だけど、お店を回っているうちに、なぜこのアンプが売れないかということに気がつきました。結局、自己満足で商品を作っていたから売れないと。お客さんはどういう物が欲しいのか、その視点が欠けていたのです。

 そう考えて製造したのが糸ドライブプレーヤーの「3533」です。これは売れましたよ。60-70万円の製品でしたが、一気に数百台の受注がきた。半年くらい注残をかかえていました。ところが、これも10ヵ月後に、全国的な販売網を持つ対抗メーカーが現れて、売れなくなってきた。

 この時には、「いくら努力しても大手にまねされてしまうし、零細企業はダメなのか」という無力感を強く感じました。また、オーディオ業界の先行きにも不安がありましたね。

 そんな時、ある販売店のオーディオ担当者がパソコン売り場に移りまして、挨拶がてらパソコン売り場を訪ねたのです。そうしたら、「牧さん、パソコンはやたら売れるよ」というのです。

 この言葉が引き金でしたね。これからはパソコンを勉強しなければいけないという気にもなりましたし(笑)。勉強しながら、自作でP-ROMライターを作って、パソコン専門誌に半ページの白黒広告を打ったのです。そうしたら月に100-200台も売れるでしょう。びっくりしましたよ。 その後、プリンタバッファを開発して、本格的にパソコンビジネスに乗り出したわけです。

-この時期は何人くらいの規模でしたか。

牧 5-6人です。しかし、プリンタバッファを作っても、当時はDRAMが高かったですから、プリンタとプリンタバッファが同じ価格になってしまう。そこで、試作機の開発が終了してから、約1年間待って、2万9800円で出せるまで、知恵を絞ったのです。83年に売り出したら爆発的に売れました、月に何千台もでました。

 プリンタバッファの売り出しまでは、父、母や近所のおじさん、おばさんまで動員して、ハンダづけをしていましたが、売れ出してからは、とても追いつけなくなって、外注にだしました。

-その後、メモリーボードに進出するわけですね。

牧 メモリーボードは86年からです。実は当社とI・Oデータさんがやってきたメモリーボードの商売は、世界でもまれな商売方法なのです。米国ではボードとメモリーは別々に販売されているのですが、我々はセットにして販売していったわけです、売上単価はボードだけだと1万円前後ですが、メモリーボードにすることで5万円前後になる。単純に考えて、単にボードの商売をするよりも5倍の売上げになる。

 こうして単価を上げると同時に、さらに当社の粗利を20%以下に抑えることにした。30%の粗利をとっていたらボードとメモリーを別々に売っているメーカーが参入できたでしょうね。低粗利で攻撃したからこそ、DRAMとボードのセット販売ができたし、他社が参入できなかった。低粗利戦略をとることによって、市場が拡大、その結果、低粗利にもかかわらず高収益体質を実現することになったわけです。

-今期の売上と利益はどの位ですか。

牧 91年3月期決算で売上げ110億円、経常利益14億3000万円でした。来年3月期は150億円、17億3000万円を見込んでいます。

-今回の店頭公開に合わせて、21世紀に向けた将来構想を策定されましたね。

牧 「21世紀への経営ガイドライン」を策定しました。2000年に売上げ1000億円を目指すこのビジョンでは、パーソナルネットワーク事業、シリコンディスク事業、マルチメディア事業の3つの事業を柱としています。そのほか機能の分離として分社構想、海外拠点の展開なども目標に掲げています。

-海外戦略には積極的ですね。

牧 平成元年には、米国オレゴン州にバッファロープロダクツを設立し、北米地域での販売を開始しています。また、今年3月には台北に連絡事務所を設置しました。生産拠点としての連絡事務所です。台湾のメーカーは玉石混交で、玉をつかむのが非常に難しい。2年程前から様々なメーカーと積極的に取引を行って、ようやく玉を掴みはじめています。キーポイントは、人脈をつくることですね。長い目でつき合っていく姿勢も大切です。 不良率を低下させることが、長い目で見ると利益の上昇につながる。こんなことを話し合いながら理解してもらうことが必要です。

 台北への進出は、中国進出の布石にしたいとも考えています。95年以降には中国語を話せるエンジニアを獲得して、中国に生産拠点を置きたいと考えています。まだインフラが整っていない国ですから、95年を過ぎてからとは思いますが。

-もう一度、繰り返しになりますが、パソコン業界は明るい方に向いていると。

牧 各社とも在庫調整のめどがついたでしょうから、来年以降は明るくなってきます。今後パソコン業界がさらに発展するためには、もっとパソコンの敷居が低くならなくてはだめだと思います。 パソコンは、面白い、インテリジェント性があるといって飛びついてくる人が多いですけど、失敗する恐さや、勉強しなくてはならないという面倒くささが敷居を高くしている。

 エントリーは優しく、奥にすすむに従って深くなる-そんな形にしなければなりません。当社は、ICカードを差しただけで自動的にソフトが立ち上がるパテントを持っていますが、こうしたものを、これからさらに提案していかなければならないでしょうね。

 

≪眼光紙背≫

 ▽身体の大きな人である。話しぶりはソフトなのだが、どうして、どうして、その内容は手厳しい。社長室には神棚があって外国から遠来の客があるとお伊勢さんにおつれするそうである。気づかいは細やかで、取材中もたびたび大きな身体をユサユサ動かしては必要書類を手配してくれた。

 ▽店頭公開企業ともなると金融機関、報道機関、証券各社が押し寄せてくる。分きざみのスケジュールというが、こんな多忙さは快よい疲れであろう。公開で得た資金は「本業のために投資する」ときっぱりいう。メルコの商品は牧社長の開発設計によるものが多い。技術出身でありながら牧社長の営業展開もたいしたもので、とくに海外戦略に事業好きな片鱗がうかがえる。「台北にパートナーを求めている。良い相手と会うまで探しますよ。なぜ台北進出かといえば、中国本土市場への布石です。中国語を話せて我々とも意志疎通ができる人を探しているわけです」。思わず、大きいのは身体とともにスケールもだと、感心してしまった。