場所に情報を括りつける──という新しい発想が、ITと国土経営との連携を実現させた。国土交通省が推進する自律移動支援プロジェクトの仕掛け人は、今年2月に東京大学大学院情報学環の特任教授に就任。誰もが参画しやすいユニバーサル社会の実現に向けて、ユビキタス情報基盤の形成に取り組む。少子高齢化社会を見据えながら、国土のインテリジェント化をどう進めていくのか。IT産業にとって、実に心強い味方の登場である。
自律移動支援プロジェクトの実証実験開始、新しい社会システムの実現目指す
──国土交通省技監時代から「ユニバーサル社会」の実現を提唱されてきました。
大石 これからの日本は、あらゆる資源を集中してでも、社会を支える側に総動員で参加してもらわなければ、厳しい少子高齢化も、アジア諸国の台頭で激しさを増す国際競争も乗り越えることができないのではないかと思っています。そのためには、女性や元気な高齢者、さらに障害者の方々も社会参加できる環境を国土の装置として作り上げていくことが必要なのです。国交省が取り組んでいる自律移動支援プロジェクトは、世界に例のない全く新しい社会システムを、実証実験などを通じて構築しようという試みです。
──確かに社会を支えようという意識は薄くなっているかもしれません。
大石 最近の子どもは親の手伝いをほとんどしませんよね。以前は、日本でも子どもに家事労働を積極的に手伝わせ、子どもは失敗して怒られたり、人に喜んでもらったりしながら社会の実務に触れる機会がありました。しかし、私ぐらいの世代が親になった頃からか、勉強に専念させることが親の務めといった風潮が強まってしまった。このままでは「子育てに失敗した世代」という歴史的な評価を受けかねませんよ。
──最近は学校でも社会貢献活動が取り入れられてきました。
大石 教育課程やボランティアとしてでなく、実社会の立派な戦力として参画すべきでしょう。茨城県の美野里町で、ある社会福祉法人の女性職員が、3級ヘルパーの資格取得に年齢制限がないことに着目して、中学生に介護資格を取らせる活動を始めました。単なるボランティアではなく、実戦力となる資格取得として参加させることで、中学生の目の色が変わったというのです。世界中をみても、身体を使った社会貢献活動をしないまま大人になれる国は日本だけという話も聞きます。お隣の韓国は徴兵制度がありますし、フランスでも徴兵制度を廃止したときには、パリジェンヌにも道路の清掃などの社会活動を行うことを義務付けました。
──日本で「義務付け」なんて言うと、大騒ぎですよ。
大石 現実問題として日本では、学生も、働く意欲のある女性も、元気な高齢者も、社会参画してもらうことに成功していません。幼い子どもがいるだけで入社試験が不合格になったり、育児休暇を取ったら職場が変わったりするような社会はやはり変えなければならない。そのためにユビキタス環境のような誰もが参加できる都市の装置だとか、駅のあり方とか、ビルの作り方を変えていく。それを提言していくのが私の役割だと思っています。
──自律移動支援プロジェクトも、愛知万博(愛・地球博)での実証実験が今月から始まりました。
大石 会期中、3回に分けて実証実験を行う予定です。神戸市での実証実験も今年度中には実施しますが、ICタグにどのような情報を入れるのか、など準備を進めているところです。実験では、坂村先生が提唱するU─コードを使用することを決めましたが、将来は日本のシステムが国際的な標準となるように実績を積み重ねていきたいと考えています。
──障害者支援だけでなく、観光にも利用するようですね。
大石 愛知万博でも、IC端末を持って歩いていると5か国語で案内するサービスの実験も行います。東京都でも興味を持ってくれていて、浅草で外国人向け観光案内サービスの実験を行うほか、上野周辺では美術館・博物館や動物園内の案内サービスに利用しようとしています。
安全な国土を後世に残すために、リアリティの世界でITは貢献すべき
──高速道路のETC(自動料金収受システム)も普及率が40%を突破しました。
大石 高速道路料金に導入された割引制度がETCの購入意欲を刺激したのでしょう。ETC導入の最大のメリットは、手作業では不可能だった硬直的な料金体系の見直しが可能になることでした。私も反省していますが、これまでは料金所の渋滞解消ばかりを強調して、料金サービスの多様化について言及してこなかった。従来の料金制度が歪むことを恐れた面もありました。しかし、ETCという新しいIT装置を入れたことで料金制度が変わり始めた。装置が制度を追い越してしまったわけで、ある意味、非常に興味深いことです。
──一時は、米国のようにETCの車載器を無料で配るべきとの批判もありました。
大石 米国で車載器は無料といいますが、その分通行料金に上乗せされているわけで、車載器も有料道路ごとに変えなくてはいけません。日本のシステムは多少重たい部分はありますが、全国どの高速道路でも利用でき、駐車場やドライブスルーなどの民生利用も可能です。坂村先生から「もっとオープンなシステムでやるべきだった」と指摘された点は、確かに反省すべきところですが…。
──ちょうど国会では全国総合開発計画(全総)を見直す審議が進んでいます。
大石 “均衡ある国土の発展”を掲げてきた全総には、大都市を中心とした高度経済成長の果実を地方に分配するという側面もありました。今後も“均衡ある国土の発展”との考え方は必要ですが、これからは全ての人や地域が“強い日本”“競争力のある日本”に貢献する、との発想へ転換するべきです。そうした意識で、どんなインフラが必要なのか。高速道路なのか、ブロードバンドネットワークなのか。さらにインフラ整備によって、どのような役割を果たすのか。それぞれの地域が判断するでしょう。
──インフラ政策にITをどう位置付けますか。
大石 これまで地震は起きないと言われてきた新潟県中越地方や福岡県西方でも巨大地震が発生し、日本に災害空白地帯は存在しないことが改めて認識されました。一方で、急激な少子高齢化によって地域やコミュニティによって長い時間をかけて整備してきた国土を保全していくだけの人間を配置できないことも判ってきた。より安全な国土を後世に引き継いでいくためにも、ITが必要になっているのです。10年ぐらい前に「宇宙からの国土管理」ということをかなり真剣に議論したことがあります。その時は、技術的に難しいとの結論になりましたが、ユビキタス環境が実現できるようになったことで、もう少し具体的な答えが出せるのではないか。国交省の技術陣とも議論しているところです。政府の総合科学技術会議の政策として“国土のインテリジェント化”という考え方に基づいた施策を打ち出せれば、国民にも分かりやすいのではないかと思っています。
──IT産業に望むことは何でしょうか。
大石 ITをどこに使うかですね。ゲーム機、テレビ、音楽といった世界ではなく、医者が薬を取り違えないような医療システムとか、迷わずに目的地に着けるシステムとか、もっとリアリティの世界でのITが必要ではないでしょうか。現状ではバーチャルな世界ばかりが目立っていますが、今回のJR西日本の脱線事故を見ても、国民の安全や安心にITが貢献すべきことはたくさんあると思います。
眼光紙背 ~取材を終えて~
技術審議官時代に建設CALS/EC(公共事業支援統合情報システム)、道路局長でETC、技監で自律移動支援プロジェクトと、ITに係わるプロジェクトを次々に手がけてきた。背景にあるのは、急激な少子高齢化などによって国土の安全・安心を維持できなくなることへの強い危機感だ。
いかに効率的に社会インフラを維持・更新していくか。リアルな世界が直面する問題に対して、IT業界はもっと積極的に取り組むべきだろう。
小泉首相の特殊法人改革がなければ、そのまま日本道路公団などのトップにすんなりと就任していたかもしれない。しかし、時代のめぐり合わせが、道路の実務家ではなく、ITや環境などの幅広い視点で大所高所から国土政策を論じる役割を大石氏に担わせようとしているように思えるのである。(悠)
プロフィール
大石 久和
(おおいし ひさかず)1945年4月2日生まれ、兵庫県出身。70年3月、京都大学大学院工学研究科修士課程修了。同年4月、建設省(現・国土交通省)入省。93年4月、国土庁(現・国土交通省)計画・調整局総合交通課長、95年6月、建設省道路局道路環境課長、96年7月、大臣官房技術審議官、99年7月、道路局長、02年7月、国土交通省技監、04年7月、財団法人国土技術研究センター理事長に就任。04年10月、早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授(兼務)、05年2月、東京大学大学院情報学環特任教授(兼務)。
会社紹介
国土交通省は、今年度から自律移動支援プロジェクトの本格的な実証実験に着手した。道路や建物などにICタグを埋め込み、そこに書き込んだコード(番号)を元に携帯端末でサーバーから情報を取得することで、視覚障害者の移動案内や、外国人などへの観光案内を行おうという新しい試みで、今月から愛知万博(愛・地球博)の会場内で実証実験が始まったところだ。国交省技監だった2004年3月に、坂村健・東京大学大学院教授を委員長に自立支援移動プロジェクト推進委員会を立ち上げ、退官後もプロジェクト顧問として中心的な役割を担っている。
「本当に公共事業は悪役ですか─公共事業批判を批判する」(中央公論03年12月号)を技術官僚トップの立場で公表するなど“論客”として知られてきた。退官後は国交省の技術戦略を担う財団法人国土技術研究センター理事長に就任する一方で、「国土学」の第一人者として大学からも引っ張りだこ。早稲田大学大学院、東京大学大学院のほか、今年4月に開校した日本大学大学院総合科学研究科では環境国土論を受け持つなど、幅広い活躍が期待されている。