ボーランドの新社長に、約30年にわたって日本ヒューレット・パッカード(日本HP)で活躍してきた河原正也氏が5月1日付で就任した。着任早々ボーランド米国本社に赴いて日本市場の重要性を説き、これまでシンガポール拠点が統括するアジア・パシフィックの一員に過ぎなかった日本法人を、7月1日付で切り分けることを実現した。「日本のソフトウェア開発を何とかしなければならない、という思いと、ボーランドから声をかけられたタイミングが一致した」のが転職のきっかけ。早くも新しい営業戦略など、これまでとは異なる“ボーランド・ジャパン”の基盤作りに着手している。
日本を1つの地域として運用、米国の研究・開発チームとの直結も
──日本のソフトウェア開発について、厳しい意見をお持ちですね。
河原 日本市場には、強大なソフトウェアの開発ボリュームがあります。これが飛躍的に伸びている。例えば携帯電話でもすでに500万ステップとか、700万ステップとかの領域です。これは、かつての第3次オンラインシステムなどをはるかに凌駕する規模のソフトウェア開発です。家電も自動車もソフトウェアの塊のようになっている。しかし、日本は国を挙げて、業界を挙げてソフトウェア開発のプロセス改善や生産性の改善をしてこなかった。ツールを使っての標準化を進めてこなかったとも言えます。ハードウェアの製造では各社が必死になって生産性の向上に取り組んできたのとは、極めて対照的です。
生産性の向上が図られないまま短納期に対応して、若い開発者たちが24時間労働で肉体を酷使して作業をしているというのが実態でしょう。このままでは日本のソフトウェア開発者は死んでしまう、というくらいの強い危機感を持っています。大学の先生方と話してみても、情報工学には学生が集まらないというぼやきしか聞こえてきません。このままでは、本当に日本のソフトウェア産業は衰退の一途をたどることになります。
──今、ソフト開発業界で広がっているオフショア開発も、日本のソフトウェア産業の首を絞める要素になります。
河原 これまでのオフショア開発は、日本で仕様を決めて中国なりインドなりの開発会社に投げる仕組みがほとんどでした。それではトラブルも発生し、生産性を損ねることにもなりかねません。ソフト開発もスピード競争です。テレコム向けのソフトなどは、次々と新サービスを登場させるのに対応していかなければならない。エンドユーザーのニーズに合わせて、リアルタイムでソフト開発を行う体制がなければ、顧客の要求に応えることができなくなります。それを解決するために、これからは要求把握の段階からオフショア開発会社も参画し、同じスキルで同じ開発環境を持たなければリアルタイムの開発は実現できません。標準化した開発環境で、同じ方法論を用いていかなければならないわけです。
──開発ツールを使って標準化を図る動きが広がれば、ボーランドにとってもビジネスチャンスが増えてくるわけですね。
河原 ボーランドの提唱する、SDO(ソフトウェア・デリバリー・オプティマイゼーション)が広がっていくと考えています。それに対応して、日本法人のビジネススタイルも変えていきます。まず、7月1日付でこれまでシンガポール拠点が統括するアジア・パシフィックの中に入っていた日本法人を独立させ、日本を1つの地域として運用していくことを決めました。直接、米国本社にレポートするようになります。日本は巨大なソフトウェアのマーケットです。これまでは、シンガポールを経由しなければ何もアクションを起こせない体制になっていました。これでは日本の顧客の要求が反映されない、製品も日本語へのローカライゼーションのスピードが遅れてしまう。シンガポールでは、日本の顧客のことはよく把握していないという問題がありました。これを改めることにしたわけです。このため、日本法人にも米国の研究・開発チームと直結した組織を作り、ローカライゼーションでも直結した組織も作りました。
また、ヒューレット・パッカード(HP)などのグローバル規模のパートナーに対しては、より深い関係を築いていくために、日本は日本で直接タッチできるようになります。日本の巨大ソフト市場を相手にセミナーやフォーラムの開催など、日本のユーザーが何を要求しているのかを日本法人が直接把握し、対策を打っていくことになります。
組込みソフト分野へ参入、コンサルティングサービスも本格化
──就任早々、組込みソフト分野へのビジネス展開を表明しました。。
河原 組込み分野は、ソフトウェアの規模が巨大になっており、開発に投入される人員も拡大しています。その開発プロセスを管理するためには、運用管理ツール、構成管理ツールが不可欠になります。そういうニーズを狙って、横河ディジタルやシー・イー・シーなど組込み分野に強いパートナーとの提携関係を強化し、参入していくつもりです。。
もう1つが直販体制の確立です。これまでボーランドは、ソフトウェア開発ツールについてチャネルビジネスとシステムインテグレータ(SI)向けのビジネス、つまり間接販売に集中してきました。しかし、これだけではエンドユーザーにまでソフトウェア開発の標準化を浸透させていくことはできません。そのために必要なのは、エンドユーザー向けの直販だと思うのです。これからは、製造業やテレコムなど業種を対象にした直販ビジネスも展開していきます。。
また、コンサルティングサービスを本格化することも新しい点です。ボーランドは今年1月にコンサルティングファームのテラクエスト・メトリックスを買収しました。日本法人でも、このテラクエストから専門家を日本に常駐させて、コンサルティング業務に本格的に取り組みます。テラクエストと契約している日本企業もありますが、米国との直接契約になっています。これを日本法人との契約に改めていく考えです。米国からスタッフを呼ぶのは9月くらいになるかもしれませんが、それを受け入れるための組織も作っていかなければなりません。。
──組込み分野への進出、直販体制の確立、コンサルティングの本格展開と、ボーランドの日本法人の組織もビジネスの規模も大きくなりますね。。
河原 営業体制は、新たにサポート営業とインダストリー営業を設け、チャネル営業、パートナー営業の4つの営業セクションを置きます。さらに本社のプロダクト開発、ローカライゼーション、研究・開発のそれぞれのセクションに対応した組織も日本法人に設置します。組織名は未定ですが、プロダクトマネージャーを集め、日本の顧客に対応した開発やモディファイを米本社に伝える仕事や、新商品を日本市場に投入するための準備など、これまでアジア・パシフィックで担当していた役割を直接、日本法人で対応することになります。。
もちろん、これら新しいビジネスだけでなく、従来の開発ツールのビジネスも根強いファンが多く、強化拡大していきます。現在、ボーランドの日本法人の社員数は70人強ですが、1年後には100人体制にしようと思っています。売上高もここ数年は40億円規模で推移していますが、新ビジネスを展開することで3年後には100億円を目指す考えです。かつてHPでコンサルティング事業を担当していた時、当初は200人程度だった組織を10年で2000人規模に拡大させた経験があります。ボーランドの日本法人にとって“悲願”だった、アジア・パシフィックからの独立をまず実現しました。これからボーランド株式会社も大きく変化していきます。
眼光紙背 ~取材を終えて~
ヒューレット・パッカード(HP)暮らしは30年を超えた。「創業者のビル・ヒューレット、デイブ・パッカードとも一緒に写真を撮った。HPでは一番の古株だったかも」とか。もともと入社したら長く働こうと思っていたという。外資系ITベンダーにありがちな、次々と会社を移りキャリアアップしていくような「ジョブホッパーにはなりたくなかった。HPで約30年。ボーランドでもそれだけやりたいと言ったら笑われたよ」。しかし、じっくり腰を据えてかかるかと思えば、早々に新体制を打ち出すなど決断も早い。
趣味はテーブルマジック。これも仕事同様、長く付き合っている趣味。マジックブームで、「あちこちでやってくれと頼まれる。仕事を辞めてもマジシャンで食えるかも知れない」。企業の業績はマジックでは伸びない。でも、その手並みの鮮やかさで周囲をあっと言わせるコツも心得ているようだ。(蒼)
プロフィール
(かわはら まさや)1947年10月10日生まれ、大阪府出身。70年、同志社大学工学部卒業。72年、同大学大学院工学研究科修了。同年、横河ヒューレット・パッカード(YHP、現日本ヒューレット・パッカード=日本HP)入社。78年、HP米国本社勤務。82年、YHPエリアセールスマネージャー。93年、YHPのSAPプラクティスマネージャー。01年、日本HPバイス・プレジデント兼執行役員。05年、中国ビジネス統括本部長兼理事。05年4月、日本HP退社。05年5月1日、ボーランド社長に就任。
会社紹介
米ボーランドは1983年の創業。日本法人は89年4月に設立された。創業以来、ソフトウェア開発者向けにツールを提供。ウィンドウズ向けのビジュアル開発環境「デルファイ」、開発ツール「C++ビルダー」、Java開発ツール「Jビルダー」などのほか、要求管理システム「カリバーRM」、モデリングツール「トゥゲザー」など、ソフト開発の効率化に貢献するツール群を提供している。日本法人の売上高は約40億円。