ビジネスモデルの変革から8年目で株式公開を果たした日本アイ・ビー・エム(日本IBM)のビジネスパートナー・日本オフィス・システム(NOS)。ハードウェア単価の急速な下落と元社員による横領事件の発覚で一時は経営危機に直面した。だが、粘り強い努力でビジネスモデルを変革し、短期間のうちにオンデマンド型ITアウトソーシングの先進企業として生まれ変わろうとしている。復活のシナリオと今後の展望を尾﨑社長に聞いた。
債務超過寸前の悪夢から立ち直る サービスへの転換決めた熱海会議
──日本IBMの他のビジネスパートナーから「がんばればNOSのようになれる」という声が聞かれるようになりました。経営危機から復活し、株式公開に至る経緯はどんな状態だったのですか。
尾崎 1990年代後半、ハードウェア価格の下落で粗利率が急速に悪化していくなかで、元社員による10億円規模の商品の横流しという横領事件が発覚しました。内部に蓄積されていたもろもろの不良資産も相まって債務超過寸前の状態でしたね。それだけに衝撃は大きかった。
97年当時は、売り上げの約8割がハードウェアを中心としたプロダクト販売でした。とにかく、これを変えないと危機から脱出することはできない。焦燥感を抱きながら、その年の11月末に、部長クラス以上の幹部やスタッフ50─60人を静岡県の熱海に集めて“ソリューションに軸足を移す”と宣言しました。ビジネスモデルを変革し、どん底から復活する原点になった記念すべき会議です。
──“熱海会議”での宣言ですね。しかし、人材やノウハウ、商材、資金も不足している。どうやって変革を進めたのですか。
尾崎 熱海会議では、商品を持たなくていいから、手ぶらで顧客を訪問してみろと説きました。顧客の経営課題を聞き出す営業スタイルこそが本来あるべき姿なんだと。メーカーがつくったものを持っていって、“どうですか、買いませんか”と勧めるやり方では駄目なんです。経営課題を研究し解決方法を提案できるスタイルに改めることが、生き残る道だと考えました。解決方法のノウハウそのものが当社独自の資産となる。そこから純粋なソリューションプロバイダへの道が始まるんだと。
会議の翌年からの3か年計画は“変革”と名づけました。新規の投資は行わず、限られた経営リソースのなかでサービス事業を立ち上げ、SEなどのコストを回収する。一方で、営業は従来型の物販でなんとかしのぐ。やっと投資ができるようになったのは、01年から始まった次の3か年計画“飛躍”が動き始めてからです。そこでようやく人材育成への投資ができるようになった。大手ERPベンダーの技術者認定資格などを積極的に取得して、基幹業務システム構築案件の受注を増やしていった時期です。
──ERPの資格取得者が増えたことで、一気にERPビジネスに入り込んでいったわけですか。
尾崎 そうじゃないんです。ERPの資格を取得したからといって、すぐにERPを売るための営業はしませんでした。熱海会議で打ち出したように、顧客の経営課題を聞き出し、これを解決する手段の幅と深さを求めて大手ERPベンダーの旬のノウハウを取り込む必要があると考えたからです。ソリューションのノウハウを習得するには、実際のシステム構築を通じた経験が必要です。しかし、ERP製品の販売を目的としたのでは、変革前のプロダクト販売と本質的に変わらなくなってしまう。ですから、ノウハウ習得による人材育成だけでなく、サーバーハウジングなどの設備投資も行い、顧客企業の提案から導入、運用に至るITライフサイクル全般をカバーできる成長基盤の確立に力を注ぎました。
ITアウトソーシングを軸に、月額料金でERPサービス提供
──基幹業務システムの構築やITライフサイクル事業は、他社もやっていますね。競争力を得るためのさらなる差別化をどこに求めるんですか。
尾崎 熱海会議の時点では、IT産業は際限なく伸びるものだという漠然としたイメージがありました。しかし、実際はすでに成熟産業なんですね。サービス事業そのものの価格下落から粗利率も下がらざるを得ない。熱海で思い描いた夢とはズレがありました。大手ITベンダーのソフト開発や受託計算の業績は一部で落ち込んでいます。ただ、ITアウトソーシングは、まだ成長していける有望株です。
そこでこれからは、ITライフサイクルを包括的に請け負うITアウトソーシング事業を伸ばすフェーズだと位置づけ、04年からの3か年計画“新創”の柱にしました。顧客の情報戦略を一括して担うITアウトソーシングの品質を高める独自のオンデマンド対応ERP「ファインクルーNX」も開発し、05年10月から一部モジュールも発売しました。
──従来のシステム構築から利用した分だけ料金をもらうオンデマンド型ビジネスにシフトすると。
尾崎 そういうことです。基幹系の大規模なシステム構築になると、5─10年先を見据えた要件定義が必要になります。今いらなくても将来必要になるという予測のもとにさまざまな機能を盛り込む。過剰な仕様で開発をするから初期費用もかかる。稼働までのタイムラグも長く、手直しも必要になります。結果、あれこれ手直しするうちに追加費用が膨らみ、顧客満足度が下がって費用を満額支払ってもらえないという事態に陥る。これが、赤字プロジェクトを生み出す悪循環です。そうした個別のシステム構築に代わって、月額料金のメンバーシップ制でオンデマンド型のERPを活用してもらえば、初期開発費用は原則無料化が可能です。稼働後の手直しも一定の範囲内で当社が負担することで、従来型SIのような経費負担を解消することができます。
──しかし、それで収益は見込めるんですか。
尾崎 標準的なモジュールはあらかじめ開発をしておき、最低限の準備期間でシステムを立ち上げます。情報システムは稼働してから現場の要望が上がってくるわけで、むしろこの手直しを重視するべきだと考えています。顧客のビジネスモデルは日々変化するわけで、当社においても変革前と今とでは劇的に変わりました。月額費用をベースに顧客のビジネスの変化や要望に合わせて、細かな手直しを積み重ねる。こうして常に最適な情報システムに保つことが、収益面でもオンデマンド型のITアウトソーシングを成功させるカギになると思っています。
──新しいビジネスモデルへの挑戦ですね。
尾崎 まずは販売管理と財務会計から始めて、今後、人事給与や生産管理などを追加していきます。正直なところ、このビジネスモデルが成功するかどうかは、やってみないと分からない。ただ、このIT業界で30年余りやってきて、そろそろ恩返しをしたいという気持ちがあります。新しいビジネスモデルを定着させ、実情に合わない不合理なシステム開発による赤字プロジェクトをなくすことができれば、業界の健全化に貢献できるのではないかと。
月額料金をいただくことで、稼働後の手直しに柔軟に対応し、なおかつ新しいモジュールができあがれば順次顧客のシステムに追加します。企業規模にもよりますが、中堅企業クラスならば、一般的に財務会計システムの担当者で0.5人分ほどのコスト、販売管理でも1人分の人件費コストはかかるでしょう。この人件費程度の月額料金で、オンデマンド型のサービスを提供しようというのが当社の新しいビジネスモデルです。“新創”3か年計画の期間中にファインクルーNXのモジュール数を拡充し、07年からの次期中期計画で大いに伸ばしていきます。
眼光紙背 ~取材を終えて~
今回の株式調達で得た資金は2億円余り。オンデマンド型ITアウトソーシングサービスであるファインクルーNXのモジュール開発などに投資していく予定だが、上場の狙いは「資金調達だけではない」という。
顧客企業の情報戦略を一括して請け負うITアウトソーシング事業を拡大していくためには、「NOSの技術を信頼してもらい、企業としても信用してもらわないと成り立たないビジネス」だと考える。株式公開による信用力の増強はNOSのビジネス戦略上、欠かせない。
ただ、経営危機に直面した状態から8年間、社員が汗水流して努力してきた。努力すれば報われる。「夢を社員全員に持ってもらいたい」というのも、経営者としての率直な気持ちだ。
今後は、オンデマンド型ITアウトソーシングで「業界のビジネスモデルを変える」決意で、事業拡大に臨む。(寶)
プロフィール
尾崎 嵩
(おざき たかし)1946年、長崎県生まれ。71年、中央大学経済学部卒業。同年、日本アイ・ビー・エム(日本IBM)入社。82年、営業開発統括本部東日本第二営業部第三営業所長。92年、情報システム事業部長東京統括担当本部長。93年、ゼネラル・ビジネス・サービス代表取締役。95年、日本IBM東京第一ゼネラル・ビジネス事業部長。97年9月、日本オフィス・システム(NOS)代表取締役副社長。02年3月、代表取締役社長。
会社紹介
2005年12月14日、ジャスダックに株式公開を果たす。日本IBMの第1号特約店としてハードウェアなど物販を中心としていたが、98年からソフト・サービス事業へ軸足を移す変革に着手。98─00年の3か年計画で「変革」、01─03年「飛躍」、04─06年「新創」を掲げて3度の中期計画を実施してきた。変革3年間の平均営業利益は約2億円、飛躍3年間は同4億円強、新創3年間は平均約7億円の営業利益を見込むなど、利益率も着実に改善した。新創最終年度の今年度(06年12月期)は、オンデマンド型ITアウトソーシングサービスを立ち上げて収益性をさらに高める。ITアウトソーシングの拡大が期待できることなどから、次の3か年計画では、平均営業利益10億円台を目指す。