情報サービス産業はかつてない逆風にさらされている。情報システムを巡るトラブルが相次ぎ、品質に対する信頼性が大きく揺らいでいるからだ。ITは社会を支えるインフラへと重みを増し、いったんトラブルが起こると大きな混乱が巻き起こる。こうしたなか、大手SIerからなる業界団体・情報サービス産業協会(JISA)の会長に、業界最大手・NTTデータの浜口前社長が就いた。難しい局面をどう乗り越えるべきなのか--。
システムトラブルが相次ぐ 揺れる社保庁年金記録問題
──社会インフラを支える情報システムを巡るトラブルが相次いでいます。JISA会長としてどうお考えですか。
浜口 ユーザー企業を含めて、一般社会とわれわれ業界の情報システムに対する認識の違いが、問題を大きくしている原因のひとつです。
コンピュータシステムは高価なもので、絶対に壊れないという“安全神話”がまかり通っています。確かに複雑で高度な技術の塊であることは間違いありませんが、残念ながらソフトウェアには必ずどこかにバグ(欠陥)がありますし、ハードウェアはいつかは壊れます。この“事実”をJISAとしてユーザー企業、一般の消費者、生活者に植え付けていく必要がある。これまであまりにもこうした啓蒙、啓発活動に手を抜いてきた感が否めません。
──社会保険庁の年金記録問題がクローズアップされています。主に開発を請け負ってきたNTTデータだけが悪いとは思えませんが、風当たりは相当に強いのでは。
浜口 社保庁問題は象徴的な問題であり、真摯に受け止めなければなりません。
ただ、オーダーメイドのシステムは発注者と受注者の契約に基づく協力関係の上で、初めて成り立つものなのです。どのような機能を持ったソフトをつくるのかの要件定義は発注者の意向であり、これを具現化するのが受注者の役割です。
つまり、要件定義そのものに問題がある場合はベンダーではどうしようもないことが多い。一方で、要件定義に反する欠陥があるならこれはベンダーの責任です。このあたりを明確にしていかなければ業界側が一方的に責任だけを負わされることになりかねない。
──現実には要件定義に書ききれないグレーゾーンが存在するわけで、すべてを契約だけで割り切れない部分が残るという指摘もあります。
浜口 どちらの責任なのか微妙になることがあるのは事実ですが、よくよく分析してみれば大半ははっきりするものです。コンピュータシステムは抽象的な事象でもなければ、情緒的な話でもありません。
そうではなくて、どこまで品質を高めるのかの基準を、発注者と受注者の間で事前に明確にしていくことが大切だと考えています。いったんトラブルが発生すると感情論に陥りやすく、問題の複雑化に拍車をかける。
分かりやすくいえば、品質はカネと時間のかけ方次第で決まる。テストばかりやっていては、いつまでも本稼働できないわけで、どこかで打ち切らざる得ません。実際には「これだけの予算と期限だから、このくらいのテストで本稼働する」ということになります。
言い方を変えれば、1か月に1回ほどシステムが停止する程度の品質でいいのか、1年に1回以下に抑えなければならないのか、この当たりの品質基準を契約ではっきりさせる必要性が高まっているのです。
──社保庁のケースでもそうでしたが、随意契約は透明性が低いという声が高まっています。
浜口 随意契約に透明性がないとは思わないが、競争入札のほうがより明瞭であることは確かです。
大規模なシステムでは何年も継続して保守、拡張する必要があります。競争入札方式をするときに、それぞれの成果物の相互接続性やシステム全体の整合性に、誰が最終的な責任を持つのかはっきりさせておく必要があります。1990年代の米国で、競争入札による分割発注が盛んに行われましたが、このとき品質の悪化が問題になりました。
部分ごとにバラバラに設計、開発を発注するのではなく、全体的な設計をどこか特定のベンダーに任せ、この仕様に基づいて各モジュールを別のベンダーに開発させる。設計さえしっかりできれば、あとは複数の開発ベンダーに分割発注してもさほど問題にならない。開発を担うベンダーも原価計算をしやすいですし、設計書に基づくコスト計算と照らし合わせて、品質を劣化させる無理な安値受注を排除することもできます。
ソフトの品質は十分に高い 若者が魅力感じるかがカギ
──自動車や家電などの品質の高さが“日本製”のブランドを支えています。情報システムやソフトウェアではなぜ品質が十分に保てないのですか。
浜口 いや、それは違います。国内のソフトウェアの品質は、完璧ではないにしろ、十分に高い。
オーダーメイドのシステムは基本的に“一品モノ”であり、自動車や家電など量産品とは比較にできません。量産品の場合、品質管理コストをかけても、数が売れればそれだけ1個あたりのコストを小さくできるけれども、オーダーメイドの場合、かかったコストはすべて発注者に負担してもらうことになる。ここは大きな違いです。
品質コストをかけすぎると、社会全体の高コスト化を招く悪影響も懸念されます。そうではなくて、たとえば、受発注システムが一時停止したら、電話での注文窓口を用意するとか、カウンターで受け付けられるようにするなど、代替手段を複数用意しておくことで影響を軽減できます。このほうがトータルでのコストを軽減させられることが多い。
──たとえオーダーメイドのシステムでも、トラブルが起きないようにする取り組みが業界側にも求められているのではないですか。
浜口 それは当然です。一通りのコンピュータの知識やプロジェクトを進める方法論、プログラミングの最低限のスキルなど幅広く保証する資格制度が必要になっています。ITスキル標準は任意性が高いですし、情報処理技術者試験など個別の試験制度も特定分野の領域を出ていません。そろそろ国や業界の資格として包括的に整備する時期にきている。このことが業界全体の品質の底上げに結びつくと考えています。
──過酷な長時間労働や報酬の低さなどでソフト開発の担い手が少なくなっています。
浜口 この業界は、人材がどれだけいるかによって生産力が決まってきます。それだけに人材不足は極めて深刻な問題です。突き詰めれば、子供たちに魅力を感じてもらえる業界であるかどうかにかかっています。
子供は概して“チャンピオン”に憧れるものです。米大リーグで活躍するイチローみたいになりたい、ノーベル賞をとりたい、年間100億円稼ぐファンドマネージャーになりたいとか、これってつまりチャンピオンを目指そうという意欲の現れなんですね。
振り返ってこの業界にチャンピオンがいるのか? プログラマで年俸5000万円とか、1億円とか、残念ながら私の知る限りではいない。こういうチャンピオンをつくっていく必要があるのです。成果をあげている人を、ちゃんとランクづけして、スターを育てないと若い人たちは近づいてきてくれない。
若者に広く門戸を開き、包括的な資格制度に基づいて、しっかりと技術的な足場固めをする。そのうえでそれぞれの持ち味に合わせた教育、研修制度を充実させ、人を育てていく。成果をあげたチャンピオンに見合った報酬をしっかり支払う。業界のこうした姿勢が人材確保につながり、ソフトウェアの品質を高める原動力になると思っています。
My favorite ハートマンの鞄。若い頃、電車の中に鞄を置き忘れた苦い経験がトラウマになって、今でも鞄はできるだけ持たないようにしている。ただ、自宅には他にも7-8個のお気に入りの鞄があり、こだわりは強いようだ
眼光紙背 ~取材を終えて~
世界の大手SIerに比べて、国内SIerの利益率は総じて低い。「大手外資系は高くてもいいが、国内SIerは同じ値段では通用しない。足下を見られている」と危機感をあらわにする。
情報システムを巡るトラブルも、長時間労働の問題も、すべての問題の根っこは、「発注側とどのような契約を結ぶのかにかかっている」とみる。「納期と価格が先に決まって、設計が固まらないうちに開発に入る業界慣習はなくすべき」と訴える。
設計に十分な時間と人材を投入し、仕様が固まってから改めて開発に必要な見積もりと納期を提示するのが本来の姿。「顧客と設計仕様を詰める元請け(プライム)ベンダーがしっかりしなければ、下につく協力会社はさらに過酷な仕事が待っている」。
ユーザー企業の理解を得ながら、業界側の“筋”を通せるか。JISAの活動を通じた業界の改革はまだ緒に就いたばかりだ。(寶)
プロフィール
浜口 友一
(はまぐち ともかず)1944年、徳島県生まれ。67年、京都大学工学部電気工学科卒業。同年、日本電信電話公社入社。82年、四国電気通信局データ通信部長。84年、データ通信本部統括部調査役。88年、NTTデータ通信に移行。88年、NTTデータ通信購買部長。90年、産業システム事業本部産業システム事業部長。95年、取締役産業システム事業本部第一産業システム事業部長。96年、取締役経営企画部長。97年、常務取締役公共システム事業本部長。98年、NTTデータに社名変更。01年、NTTデータ代表取締役副社長。03年、代表取締役社長。07年5月、情報サービス産業協会会長。同年6月、NTTデータ取締役相談役。
会社紹介
情報サービス産業協会(JISA)の会員企業数は約730社。トータルの売上高、従業員数は情報サービス産業全体の過半を占める国内最大の業界団体である。前会長の棚橋康郎・新日鉄ソリューションズ相談役は、下請け体質から脱却し、元請けベンダーとして業界をリードする“意識改革”に努めてきた。この5月、NTTデータを国内SIerとして初めて年商1兆円企業へと成長させた浜口氏に会長職を譲った。棚橋改革を継承する新しいリーダーとしての活躍に期待が集まる。