日本IBMや兼松などが出資するSIerの日本オフィス・システム(NOS)は、プロパー社長をトップとする新体制へ移行した。今年1月1日付で経営体制を刷新。ソフト・サービスを主軸とするビジネスモデルの改革を強力に推進する。オリジナルのオンデマンド型ERPサービスは昨年度、前年度比で約2倍に伸びるなど好調だ。過去の経営危機を乗り越え、NOSを復活させた経験を生かし、顧客の経営革新に全力を注ぐ。
初めてプロパー社長が誕生 危機直面が転換の原動力に
──初めてのプロパー社長の就任となりますが、まずは抱負からお聞かせください。
水谷 当面の目標としては東証二部への上場を目指したい。当社は2005年末にジャスダックへの上場を果たし、復配や無借金経営などかねてからの目標もクリアすることができました。日本IBMや兼松など親会社に依存するのではなく、自主自立したSIerとして伸びていくために、プロパーのわたしが社長に選ばれたと捉えています。収益力を高めるビジネスモデルを再構築するとともに、財務基盤を引き続き強化していく。その結果として東証への株式上場という形で信用力をより高めたい。
──過去に起こった経営危機も現場で体験しておられますね。
水谷 わたしはNOSの設立年の1982年に入社しました。コンピュータ業界は伸びると思ってアパレル業界から転身しましたが、当時の営業品目の主力はまだタイプライターでした。初めはコンピュータですらなかったわけですが、その後本格的にオフコンを売り始めてからコンピュータの仕事になっていきます。IBM系の販社という位置づけでしたから日本IBMの営業部門と情報を共有しながらオフコンを納入し、保守を請け負うというビジネスモデルです。それでも90年代前半までは利益が出た。
しかし、低価格のパソコンが出てきて、本格的なクライアント/サーバー(C/S)時代に入ると利益が激減。売り上げの8割ほどをハードウェアなどの製品販売で占めていましたから、在庫圧力も相当なものでした。あれよあれよという間に債務超過に陥ってしまったのが97年。当時は埼玉の大宮営業所に勤めていました。
──危機に直面して、価値観が大きく変わったと聞きますが。
水谷 はい。ただ、当時の自分に本当の意味での危機感があったかといえば、疑問です。営業所勤めでも全社の数字を見ようと思えば見られましたが、今から思えば全然視野に入っていませんでした。当社は日本IBMと兼松江商(現・兼松)の合弁会社としてスタートしており、二大安定株主がついているから「絶対につぶれない」というような甘えがあったのだと思います。ところが、いきなり存続の危機に直面。同じ頃、頼みの兼松の経営も苦しくなり、NOS自身の信用力も大幅に低下してしまいます。
97年にIBMから敏腕経営者の尾崎(嵩・現会長)さんがNOSに来て、経営の立て直しに取りかかりました。会議で会社の危機的状況を尾崎さんに説明されて、ようやく実感が湧いてきたのを覚えています。社内で使うパソコンを揃えるのにも、与信が足らずにリースが組めなかったこともあり、「これではダメだ」と思いました。顧客に心配をかけ、自身の存続も危ういようでは情けない。そう感じたのはわたしだけではないはずです。
──その後、ソフト・サービスへ大きく業態を変更したわけですね。
水谷 わたしを含めてNOSの社員の多くが、ハードウェア販売に慣れていましたし、経営指標を常に意識しながらのビジネス経験に乏しい。尾崎さんに厳しく数字を叩き込まれて、10年近くかかってソフトサービスを主体とするビジネスモデルへ転換しました。経営危機の翌年にスタートした3か年中期経営計画では、まず古い企業体質を変革。次の3か年では成長基盤の確立に努めました。
尾崎体制で3回目になる3か年経営計画では、当社初となる本格的なオリジナルの業務システムの開発に成功。ERP(統合基幹業務システム)をオンデマンドで提供する形のサービス「FineCrew NX」を業界に先駆けて投入しました。このサービスは05年の発売以来、昨年度末までに9グループ19社に納入し、昨年1年間の関連する売上高は前年度比で約2倍に伸びるほどの好調ぶりを示しています。ソフト・サービス分野における収益力の向上に結びついている。経営危機から10年間の大改革をへて、ビジネスモデルの大切さ、漫然と働くことの危うさを社員全員が学びました。これがソリューションビジネスへ転換する原動力になったと思っています。
「変化適応」はSIerの本分「こだわり」は失敗のもとに
──昨年度(07年12月期)の決算を2月に発表しておられますが、社長として初めての発表が期初計画に反して減収減益でした。
水谷 主力のソフト・サービスは伸びましたが、ハードウェアの単価下落と付随する保守サービスの前年割れが足を引っ張りました。ソフト・サービスが伸びて、ハードが落ちる流れはかねてから織り込み済みであり、後退はしていない。とはいえ、ソフト・サービスが計画通りに伸びず、ハードの落ち込みを十分にカバーできていない点が課題として浮き彫りになりました。
大改革から10年がたち、もう一度、ビジネスモデルを見直す時期にきていることは確かです。たとえば、当社は全国約3000社の顧客基盤をもっていますが、1社あたりの総IT投資額のうちに占める当社が受注する比率を高める余地はまだ十分にあります。また、当社オリジナルのオンデマンドERPサービスのより一層の拡充、新規顧客の獲得スピードを上げるなど取り組むべき課題は多い。
──では、ビジネスモデルをどう変えていくつもりですか。
水谷 製品やサービスの内容、技術的な領域では、資本力のある大手ベンダー・SIerと正面から戦うことが難しいのも事実。何が当社のいちばんの強みかを考えたとき、変化に適応する能力であると考えています。顧客の要望を真摯に聞き込み、できるかぎりお求めやすい価格でサービスや製品を提供する。これは本来のSIerの姿でもあります。
うちの社員は、どん底から這い上がってきた連中ばかりですので、変化に適応することがいかに大切か、身をもって経験しています。ひとつのビジネスモデル、ひとつの製品・サービスにこだわっていると失敗します。ERPサービスを独自でつくったのは、他社と差別化する目的もありますが、それ以上に顧客の要望を取り込みやすいからです。今年1月には研究開発専任のR&D開発室を新設し、開発フレームワークを整備したりOSS(オープンソースソフト)との連携、オフショア開発のプロセス確立を進めるなど顧客の要望の具現化に努めています。
──アライアンスも積極化しています。
水谷 ええ、NTTコミュニケーションズ(NTTコム)との資本提携やデルとの保守サービスに関する業務提携を昨年行いました。ここでも特定の業務に限った提携だけで終わらせるのでは当社らしくない。デルは直販モデルですので販売以外の分野での連携ですが、NTTコムとは双方の強みを生かしやすい。今はSI案件での機材導入や障害受付などの領域ですが、今後は運用サービスやアウトソーシングなど当社の強みとしている分野への協業拡大を急ぎます。
変化適応型のビジネスモデルをさらに進化させることで、顧客の満足度を高め、アライアンスパートナーとの連携を深めていきます。こうした取り組みにより早い段階で営業利益率を今の2倍に相当する10%に高めることが当面の目標です。
My favorite中学校の卒業記念でもらった判子(手前)。実印として大切に使っている。どうみても写真奥の立派な認印のほうが実印に見えるのだが…
眼光紙背 ~取材を終えて~
10年をかけてNOSを再建した尾崎嵩会長は、今回のトップ人事について、「顧客や社員、株主などステークホルダーを公平にみる水谷氏のバランス感覚を重視した」と話す。
問題が起きたときは、「必ず関係者全員から意見を聞く」のが水谷社長のポリシー。「社員や顧客など立場の違いは関係ない」(水谷社長)。顧客の満足に重点を置くあまり、社員が泣き寝入りするようでは、顧客との関係もいずれぎくしゃくする。ステークホルダーとの信頼関係が存続の基盤だ。
当面は代表権を持つ尾崎会長とツートップの体制で経営に取り組む。これまで「業績優先にならざる得なかった」(尾崎会長)ことから、今の経営計画では新体制のもと、社員満足度の向上を柱の1つに掲げる。「新しいビジネスモデルを矢継ぎ早に打ち立て、次の経営陣を育てるのが社長の役割」(水谷社長)と、持続可能な成長を目指す。(寶)
プロフィール
水谷 正裕
(みずたに まさひろ)1953年、東京都生まれ。76年、東洋大学経営学部卒業。同年、アパレル会社のミカレディ入社。82年、兼松オフィス・システム(現日本オフィス・システム入社)。90年、東日本営業部北関東営業所長。98年、参与東日本システム営業部長。01年、取締役東日本システム事業部長。04年、取締役営業統括。05年、取締役執行役員営業統括。07年、取締役常務執行役員営業統括担当。08年1月1日、代表取締役社長就任。
会社紹介
兼松と日本IBM、NTTコミュニケーションズなどが出資するSIer。昨年度(2007年12月期)の売上高(非連結)は前年度比0.7%減の137億円、営業利益は同3.6%減の5億3800万円。09年度までの3か年経営計画では、年平均の営業利益7億円を目指す。オリジナルのオンデマンドERPサービス「FineCrew NX」やアウトソーシングサービスの拡充、部品化の手法を活用したソフトウェア開発の効率化などを進めることで利益率の向上を狙う。