銀行や総合電機メーカーなどの民間企業でキャリアを積み、3年ほど前に入省。異色の経歴を持つ経済産業省商務情報政策局情報処理振興課の八尋俊英課長は、日本のIT人材力の乏しさに危機感を抱いている。ITサービス産業の国際競争力向上に向け、民間で得たノウハウを生かし、独自のアイデアで状況を打開しようとしている。
数と質、IT人材の不足解消へ 民間並みのスピード感で対処
──銀行、総合電機メーカー、そしてベンチャー企業を経て経済産業省に入省されました。民間企業とは仕事の進め方や職場の雰囲気などいろいろな面で違いがあったはずです。最初は違和感があったのでは。
八尋 う~ん、民間に比べるとタイムコントロール、「いつまでにこれをやる」という期限の感覚があまりないかもしれません。当たり前ですが、民間企業は進めるべき仕事に順番をつけて、スケジュールを決めて動き、中期的な視点も持つ。ライバルに負けないようにとか、社内事情などがあるから、時間をしっかりと区切り、それを守りますよね。
入省してみると、そのような考え方が少し足りなくて当初は不安でした。言い方が難しいんですが、何というか、ある意味真面目で、全部を同じ力で一生懸命やる。だけど、優先順位をつけない……。共通した点が多い業務でも、バラバラに動いていて非効率なケースもありました。そこは、民間の経験を生かしていろいろ言わせてもらい、徐々に情報処理振興課(情振課)を変えてきました。変わらざるを得ない状況なわけですから。
──時間に対する意識を変えるのは大変そうですね。軋轢が生まれることも考えられますが、それでも変えなければならないと思った理由は、どこにあったのですか。
八尋 IT人材の育成施策を、これまで以上にスピードを上げて取り組まなければならないからです。中国やインドはもはやオフショア開発先ではなく、欧米の大きなシステム開発の中核的役割を担い始めています。世界で戦える技術力がある証でしょう。それに比べて日本はまだまだ。数も質も足りません。このままでは国際競争力をどんどん失います。それを打開するためには、これまでのスピードでは間に合わない。だから、民間並みの速度で施策を進める必要性があるんです。
──IT人材不足は、日本の情報サービス産業界が抱える慢性的な課題。経済産業省で人材育成を担当する情振課の責任も重い。解決のための特効薬はないと思いますが、どんな手を打っているのですか。
八尋 これまで進めてきた施策を、若干の改良を加えながら、スピードを上げて地道に取り組んでいます。情振課は、人材育成施策として「ITスキル標準(ITSS)」を中心とした人材育成プランの立案と、国家試験「情報処理技術者試験」を運用しています。この両輪によって、IT人材の数確保と質の向上を図っています。今年からは、別々に動くよりも、一緒に取り組んだほうがよいと考えて、「ITSS」と試験の連携をとってこれまで以上に使いやすくしました。
文部科学省とも連携をとり、大学の情報専門学科におけるカリキュラム標準「J07」の改定にもいろいろと意見を言わせてもらいました。学生と社会人が共通したフレームワークを使っていたほうが、効率的ですからね。
また、開発スキルの向上だけでなく、ビジネスとして立ち上げるためのマーケッターやビジネスモデルの立案者を発掘・育成して、技術力のある会社とマッチングさせるようなことも考えています。
ただ、今大急ぎでやらなければいけないのは、“超”優秀な人材の確保だと感じています。高い技術力の保有はもちろん、広い視点で情報システムの設計図が描ける人間、「超高度ITスペシャリスト」と呼べるような人材が他国に比べて少ない気がする。ここを強化すべきです。
そう言いながらも、私はそんなスペシャリストを、国内で本当に育成できるのか?と疑問に思っているんです。できないことを無責任にしゃべってはいけないですが、ひと握りの優秀な人材を選び出し、海外の研究所などで武者修行してもらって、そこで得た最新の技術やノウハウを国内に広める。そんな取り組みも必要なのではと考えています。
超優秀な人材育成計画を思案 企業のIT化でSaaSにも
──日本で優秀な人材は育成できない、と。
八尋 IPA(情報処理推進機構)が米国のカーネギーメロン大学と連携するなど、日本でグローバル競争に勝ち抜くための土壌がないとは言いません。ただ、超優秀な人材の育成・確保を急ぐには、海外への修行も必要ではないかと。予算のあてがあるわけではなく、私の考えたレベルですから具体的な計画はありませんが、世界に負けないITスペシャリストを育成するにはどうすればよいか、真剣に悩んでいるんです。
先ほど話したように、インドや中国のIT人材は、国内のマーケットにとどまることなく、海外の先進的なシステム開発に携わり鍛えられているでしょう。猛烈な勢いでスキルを高めているはずです。それに比べて、日本はどうでしょう。優秀な人材は何をしているのでしょうか。大半は大手SIerに籍を置き、目先の開発案件に取り組んでいる状況だと思います。中国やインドの開発者は世界で揉まれているのに……。プロ野球の世界のように、もっと上の世界を求めて、メジャーリーグに飛び出していくような動きがあればいいんですが、それもあまり見られない。となると、国の支援が必要なのかと。
──国内に埋もれていることで技術力が上がらないとすれば、国内市場に安住しているベンダーの戦略にも問題がある。
八尋 日本はITマーケットがそこそこあったから、海外に目を向けにくかったのかもしれません。それと、日本は他国に比べてパッケージソフトを使ったシステム構築よりも、顧客の要望に沿った開発が多い。1つの開発に関わる時間が長くなると、それだけ次の(挑戦的な)プロジェクトを手がけにくくなる。世界のスピードについていけないのは、こうした理由もあるのかもしれません。
──打開策はあるのでしょうか。
八尋 優秀なIT人材を世界の舞台に立たせるには、ITベンダーに限らず異業種の人材を探すという選択肢があるかもしれません。家電や自動車はソフトが重要になってきて、こうした業界はIT人材の中途採用を増やしています。ITベンダーにいた人が自動車業界などに転職しているんです。こうした人たちは元々世界レベルでビジネスプランを描いていますから、世界を肌で感じやすい。こんなことをいうとJISA(情報サービス産業協会)あたりから怒られるかもしれませんけど。だからこそ、ITベンダーも世界に目を向ける必要があるんです。
──人材育成と同様に重要な施策として、中小企業のIT化推進プロジェクトが動いていますね。巨額の資金を投じて、SaaSでIT化を図ろうとしています。
八尋 中小企業のみなさんが、今よりももっとIT化によるメリットを感じていてくれれば、もしかしたらやらなくてもよかった施策だったかもしれません。ただ、小規模事業者のIT化の実態レポートを見たとき、その深刻さに気づかされました。
小規模事業者はパッケージソフトを購入して自社で運用するためにアルバイトや社員を雇う費用もなく、アウトソーシングもできない。そうなると、やはりSaaSしかないと思います。本来なら5年ぐらいかけてじっくりやるのが通例かもしれませんが、今回のプロジェクトは2年で一気に立ち上げる計画です。中小企業のIT化も人材育成同様に重要です。50万社の利用獲得に向けて本格的に今年度から取り組んでいきます。
My favorite 幼稚園の卒園記念でもらったマグカップ。今でも愛用している。陶器のマグカップ集めが趣味で、数十個は所有している。その時の気分に合わせてカップを選び、大好きな紅茶を楽しんでいるという
眼光紙背 ~取材を終えて~
銀行でカネを学び、ソニーでは出井伸之氏の肝いりで立ち上がった直轄組織で、新規事業を立ち上げた。その後に選んだのが中央官庁。「なぜ、経済産業省に?」と思ってしまう。実は八尋氏は学生の時、通商産業省(現・経済産業省)の内々定をもらったのを断っている。学生時代から政策に携わりたいと思っていたようだ。外でみっちりキャリアを積んで、満を持しての入省だったのかもしれない。
「イギリスに留学した際、自分の人生を何段階かに分けて、それに合わせて転職のスケジュールを組んでいる人が多かった」。八尋氏の経歴は、そんな海外での経験にも影響されているようだ。
「今後のキャリアプランは?」との問いには、「40歳までの計画しか立てていなかったから。分からないな」とかわされてしまった。だが、「この世界は奥が深く、まだまだやりたいことがたくさんある」とも。表情は充実感に満ちている。(鈎)
プロフィール
八尋 俊英
(やひろ としひで)1989年、東京大学法学部卒業。同年、日本長期信用銀行入行。主にテレコム・メディア関連の事業コンサルティング業務に従事する。98年、ソニー入社。通信事業進出のための新プロジェクトに参画。通信サービスカンパニー事業企画室長を務める。その後、ソニーなどが出資したブロードバンドコンテンツ配信会社、エー・アイ・アイの設立に携わり、04年に常務取締役COOに就任。05年、経済産業省入省。商務情報政策局情報経済課情報経済企画調査官として、情報大航海時代研究会を企画・運営した。07年、同局情報処理振興課長。95年には、ロンドン大学LSE法律大学院修士号(LLM)取得。97年には、ロンドン市立大学メディアポリシーセンター/メディア政策修士号(MA)を取得した。
会社紹介
経済産業省の商務情報政策局情報処理振興課は、情報処理促進施策とIT人材の技術向上・育成を主な業務としている。「情報処理技術者試験」の運用やITスキルマップ「ITスキル標準」の策定などは同課が手がけている。
最近では、今年4月から継続された「情報基盤強化税制」の普及促進活動ほか、中小企業のIT化推進のための「SaaS基盤整備事業」を担当する。