今年4月。ライブドアグループから分離独立して初めて、弥生は新社長を迎えた。岡本浩一郎・新社長は「転換期」であることを腹に据え、開発者出身らしくSaaS(Software as a Service)に新市場開拓の芽があると判断。就任早々に3年間で事業の「柱」にすることを明言した。圧倒的なシェアを誇る家電量販店の「商流」は維持しつつ、トップベンダーならではの独自の基盤作りに挑む。
もう一段上に行く交代劇 開発の「制度疲労」解消
──過去二代の社長は、弥生を大きく成長させるという実績をあげました。なぜ、この時期に社長交代に至ったのでしょうか。
岡本 いま、弥生にとっては転換期だと思います。過去二代の社長は弥生を大きくする基盤をつくった。これはわれわれとして誇っていい。一方で、ややもすると忘れられた部分、具体的には開発・技術面、販売面で家電量販店へのテコ入れなどが問題として顕在化していました。会社として、これまでの成長を受け継ぎながら、もう一段上に行くために、マネジメントを含めて転換する必要がある。飼沼健・前社長の意思も含め、この段階でリーダーシップを変更しようということになりました。
──いま発言のあった「もう一段上に行くため」の課題解決をどう進めて行きますか。
岡本 まず、開発・技術の部分では、顧客から見て「安心して使える仕組み」を提供することが重要です。機能面でどう実装し、どう品質を高めるかということもそうです。当社は毎年新しいバージョンを提供しています。1年という短いサイクルで繰り返してきた。これが、過去何年かの間に、制度疲労というと何なんですが、開発者に疲れを溜めてしまっている。そこで、今後どういう形で開発を進めるのか、そのなかでいかに品質を向上させていくのかを検討する。私自身が開発者出身なので、ハンズオンで進めようと考えています。
──業務ソフトウェアベンダーとして弥生は、税制改正や制度改正などを忠実に毎年アドオンし、特に「顧客の声」に耳を傾け、使いやすい製品開発をしてきたと思います。それでも、「制度疲労」があるのですか。
岡本 当社の業務ソフトとしては、会計、給与、販売、顧客管理などを提供している。特に、会計は制度に従った決まった業務プロセスですよね。機能面で他の業務ソフトベンダーと差をつけられるモノではない。決まったことを、いかに確実に処理するかということで、(差をつけようとする作業を)やってやれないことではないが、やって本当に意味があるかというと疑問です。これまでは「顧客にどう役立つのか」という部分が、場合によっては置き去りになる嫌いがあった。
──「顧客に役立つ」製品づくりは、業務ソフトベンダーの永遠の課題ですよね。
岡本 そうですね。いままでは当社の開発者が何のために開発しているのか、あるいは何でこのタイミングで開発するのかという部分が、必ずしも見きれていなかった。現在、会社全体として4本部制を敷いています。製品本部、営業本部、顧客サービス本部(カスタマーセンターなど)と、管理本部です。このなかで、本部間の連携が弱くなっていました。当社が顧客に対し、どんな機能やサービスを提供すべきなのかということを見越し、だからこそいま開発面でこういう機能追加をするという、本来やるべきことの理解が必ずしも全体で一致していなかったと思います。
──大阪にあるカスタマーセンターで顧客から受けた要望を、東京本社の開発者がテレビ会議で受け、次のバージョンで新機能として実装することなどに役立てていますが、これでも不十分ということですか。
岡本 むしろ、その裏にあること、カスタマーセンターの話でいえば、なぜ顧客からそうした要望が出てくるのかということまで踏み込んで開発担当者が理解しないと、質のいいソリューションにはならない。単純に顧客から受けた要望をそのまま実装するということでなく、実は裏を返すともっと簡単に機能改善できるはずだったということもあるはず。「なぜ」を理解しないと「押し付けられ感」が生まれ、モラールが上がってこないのです。
SaaSは意図的に明示 店頭販売ウエートは減る
──いままでのお話を聞いていると、岡本社長が長くシステムエンジニアとして経験したことに裏打ちされた考えのように思えます。
岡本 そうですね。システム開発というのは、良くも悪くも「労働集約型」で、ヒトを集めた形の「手工業」的なところがありますね。その経験から得たことで何が鍵になるかというと、開発担当者のやる気やモチベーションだと思います。モチベーションが高いか低いかで、アウトプットの量や質も大きく変わってくる。モチベーションを上げるためには「自分がやっていることが顧客にどうつながっているか」ということを知ることが最大のインパクトになると感じています。
──今後、そういうインパクトを開発現場に与えていくということですね。
岡本 当社では毎年、エンドユーザーを訪問してお話を伺う全社的な活動を開発・営業の両部門で実施しています。どういう顧客がどのように当社製品を使い、どんな問題意識を持っているかを把握するためにですね。今年も準備をしていますが、2人1チームで19チームを編成します。
──弥生製品は、家電量販店で販売する量が多く、直接的に顧客と接する機会が少ないので、こうした活動は重要ですね。
岡本 それはあると思います。弥生はいい会社で実績も伴ってついてきています。ただ一方で、従業員からするとスッキリしないし、モヤモヤ感がある。そこで、できるだけ顧客に接する機会をつくっています。自分たちのやっていることが、顧客にどうインパクトを与えているかが見えるか見えないかで、まったく違う結果が出てくると思います。
こうした活動には、キリがないんですね。私が社内でよく話すことは、「顧客満足度の定義とは、実際に提供したモノと期待値との差」だと。つまり、期待値があまり高くなければ、そこそこの製品でも意外と満足される。ところが、期待値が高いと相当の製品を提供しないと簡単に満足してくれないのです。
──先般の社長就任会見で、「SaaS対応を段階的に進め、事業の『柱』を目指す」と明言されました。その発言まで弥生はSaaSについてはあまり積極的ではない印象がありました。やはり、「次の一手」の重要性を感じて方向転換するという判断があったのですか。
岡本 これまでSaaSに対し、否定的というわけではありませんでした。ただ、「事業計画をいつ頃までに」ということまで具体化していなかった。180度転換するレベルでなく、今後の展開をハッキリさせるために意図的に「今後何年で何をやります」と社内外に向け発表しました。その通り「SaaSがマーケットになる」と見ています。
──そういう意味で、SaaSはメリットになると判断したということですね。
岡本 そもそも私自身は、ASP(アプリケーションの期間貸し)の普及に否定的で、SaaSも「また来たか」と疑い半分でした。しかし、Googleなどを見ていると、SaaSは顧客満足度を上げる手段となり、技術と上手くかみ合うレベルに達したと感じたのです。
──弥生は家電量販店での販売が主流ですが、SaaSに進出することで販売方法も大きく変わってくるのではないでしょうか。
岡本 SaaSとパッケージソフトは、完全に〝排他〟のポジションではないと思います。当面はSaaSもパッケージもある形で、徐々に個々のウエートが変わるということ。すでに、ダイレクト販売するWebショップも持っています。今後議論する部分ですが、SaaSのスターターパックを店頭に置くという商流も考えられます。店頭やダイレクト、パートナーのそれぞれを経由した販売ウエートは変わる可能性がありますが、どの商流も無くなることはありません。
My favorite 通勤などの時間に視聴するために購入したアップルの携帯オーディオ「iPod nano」(8GB)。「趣味は何?」の質問に最初は「子育て」と答えたほど、愛娘に首ったけだ。iPodを購入した目的の1つが、いつでも愛娘の映像を観られることだとか。キューバンサルサなど多彩な音楽も入れている。開発の最中にも聴いているのか?
眼光紙背 ~取材を終えて~
弥生の歴史は波瀾万丈だ。相次ぐ大株主や社長の交代劇。家電量販店の業務ソフトウェア市場で圧倒的な力を誇り、資産価値の高いベンダーだけに、やむを得ない事象なのだろう。そしてまた、外部から若手の岡本浩一郎・新社長を招聘して内外を驚かせた。今回のインタビューは、「弥生の社員の胸中は幾ばくか」というスタンスに立ち、厳しい目で臨んだ。
しかし、名刺交換の瞬間から先入観は覆された。往々にして上から見下ろす“コンサル屋”出身者のイメージは皆無で、むしろこちらが恐縮するほど腰が低い。これまで取材はいつも「役員室」で行なっていた。だが、岡本社長のデスクは開発陣の中心に置かれているという。「ハンズオンで──」開発体制を立て直すというコメントは口先だけではないのだ。
古い体質が残る家電量販店や同業界にも即順応できそう。店頭販売の次の柱として「SaaS」を打ち出したが、この人物ならば期待が持てそうだ。(吾)
プロフィール
岡本 浩一郎
(おかもと こういちろう)1969年3月、神奈川県横浜市生まれ、39歳。91年、東京大学工学部卒業。同年、野村総合研究所(NRI)に入社し、システムエンジニア(SE)として主に証券系システムの開発とマーケティングに従事。プロジェクトマネージャー(PM)としてWindowsベースの基幹システム開発ツールの商品化にも携わった。この間の97年にはカリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)で経営大学院修士を修了。98年には、ボストンコンサルティンググループの経営コンサルタントとして証券取引所のIT戦略構築などを行った。2000年には、IT戦略に特化した経営コンサルティング会社、リアルソリューションズを設立し、社長に就任。08年4月1日付で弥生の社長に着任した。時間が空くと、屋内ではキューバンサルサと屋外でカヤックを楽しんでいる。
会社紹介
弥生は2003年、平松庚三社長の当時にMBO(経営陣による企業買収)で、前身の米インテュイットから分離独立し、現社名に変更。04年12月には、ライブドアグループの一員となった。07年9月には、「ライブドア事件」の余波などを受け、同グループから分離独立。投資ファンドのMBKパートナーズを株主に迎え、新たな一歩を踏み出した。
05年には中堅企業向けの「ネットワーク版」を出荷開始。飼沼健・前社長に代わり、08年4月に就任した岡本浩一郎・新社長は、「弥生as a “SaaS”」という方針を打ち出し、3年程度でSaaSを事業の「柱」にすることを掲げるなど、事業転換を目指す。