不景気が追い風に
──いまは、クラウド/SaaS時代を見越して、Webアプリケーションへの移行が進んでいますね。
佐藤 「uniPaaS」は、日本から要求してできた製品なんです。当社のパートナーは、C/S開発ばかりでWebアプリケーション開発の比率が高まらない、というジレンマを抱えていました。パートナーの声を聞くと、やはりHTMLやJavaScript(Webブラウザなどの利用に適したスクリプト言語)を使っていた。ところが、C/SとWebアプリケーションの両方の開発を「マジック・オンリー」でやりたいというニーズが出てきたのです。そこで、HTMLやJavaScriptなどを使わずにマジック製品だけで開発できるように、2年前に本社に要望して「uniPaaS」をリリースしました。
「uniPaaS」は、実は不景気が“追い風”になっています。いま、多くのエンドユーザー企業が開発会社の派遣などを削減しています。開発会社が常駐しなくなり、自分たちで何とかしなければならない。今年は中堅・大手企業の複数社が「uniPaaS」を導入し、導入前の研修に来ている企業も多くあります。
──SIerなどパートナーメーカーが「uniPaaS」などで開発したパッケージを紹介するサイトもありますね。
佐藤 当社は、当社製品環境で開発したソフトウェアを紹介する「パッケージソフト.com」というサイトを公開しています。このサイトには、「uniPaaS」などの開発メーカー約800社が開発した販売管理や顧客管理など、業種・業務の専門家のノウハウを凝縮したパッケージソフトを満載しています。旧メタフレームのようなバーチャル技術である「ネットワークOS」だとそれなりの開発者が必要になりますが、マジック製品を覚えていただければ、その必要がなくなりますし、当サイトで「横展開」できるようになります。
業務システムのうち、基幹システムでリッチクライアントにしている企業は少ないでしょう。この1年で基幹システムとモバイルのリッチ化を推進し、RIAの世界で今年、来年と勝負します。
──具体的には、RIAの世界がどう急展開していくのでしょう。
佐藤 さきほどの「困っているエンドユーザー企業」はRIAで開発していますので、良い事例が出てきます。そのケーススタディを基に、新規のエンドユーザー企業を獲得できると考えています。また、パートナーの社内では、自社パッケージなどのリッチクライアント化を進めています。そうするとRIAパッケージが出揃ってきますので、側面からRIA市場の活性化が進むでしょう。「jBOLT」は国内ですでに立ち上がっていますので、他社で同じような製品が出る前に、いまは「uniPaaaS」を推していきます。
──その「jBOLT」は、今後どう展開しますか。
佐藤 「jBOLT」はご存じの通り、国内IT市場に浸透し、動き出しました。実はここ1年、「EAIツール」という打ち出しを止めました。いまは「SAPアダプタ」など、それぞれのソリューションに特化した売り方をしています。SAPに関しては「SAP ERP」のユーザー企業が増えています。例えば学習研究社さんが、「jBOLT」と「SAPコネクタ」を使って書店・オペレータとの連携システムを構築しました。ここ2年間ほどは「データ連携をしましょう」といった売り方をしてきましたが、「CSV連携で十分」という声も挙がり始め、データ連携ツールに適した特化分野のマーケットに「選択と集中」したわけです。
今年度(2009年12月期)が不景気で落ち込んだ分、来年度(2010年12月期)は、最低でも昨年度程度に戻します。
眼光紙背 ~取材を終えて~
「根っからの営業マン」??マジックソフトウェア・ジャパンを取材し始めた頃、部長職にあった佐藤敏雄・現社長との初対面で抱いた印象だ。
ところが、聞けばあの大川総帥が率いるCSKでSE(システム・エンジニア)として鍛え上げられた技術者だったから驚いた。ITベンダー内にはさまざまな職務があるが、過去にコンサルタントやマーケティングなど、すべてをこなしている。
弁は立つし、人なつこい。初対面で、「旧知の仲」になっている気にさせてしまう。数年前の取材では、当時の社長と部長だった佐藤・現社長と面談した。EAIや開発ツールの世界は、ただでさえ理解するのに時間を要するが、当時の社長の説明は正直分からなかった。そこへ佐藤現社長が手助けすると、瞬時に理解できてしまったのを記憶している。
佐藤氏には取材で会うたびに、「社長になれば」と勧めてきた。ようやくそれが実現した。(吾)
プロフィール
(さとう としお)1961年3月、埼玉県越谷市生まれ、48歳。1984年3月、明治大学商学部を卒業後、CSKにSE(システム・エンジニア)として入社。91年、テキサスインスツルメンツ(TI)に転職し、CASEツール部門のコンサルタントなどを担当。TIが半導体事業に集中する際に分離独立したスターリングソフトウェアに転籍し、営業部長などを担当。00年、マジックソフトウェア・ジャパンに入社。コンサルタントやプリセールス、マーケティングなどの部長職を歴任し、03年、取締役に就任。09年8月1日付で現職。
会社紹介
マジックソフトウェア・ジャパンは、1998年1月、イスラエル最大のソフト開発グループ「Formula Group」の傘下にあるマジックソフトウェア・エンタープライゼズの日本法人として設立された。「Magic eDeveloper」(現在の「Magic uniPaaS」)を含め、導入企業は2万4000社、同社ツールを使用する開発メーカー(パートナー)は約800社。2004年6月には、統合ツール「Magic jBOLT」を国内市場に投入し、「インテグレーション市場」へ本格参入している。