日本のIT産業は大手だけでは成り立たない
──それは、同じIT業界団体でも大手IT企業が会員で東京に本部を置く情報サービス産業協会(JISA)ではなく、ANIAの役割、ということですね。 長谷川 地方のIT団体の声を中央に届ける。それこそが私どもが果たす役割です。東京の有名大学や大手IT企業を会員にする団体には、地方のユーザーとIT企業の状況や気持ちは理解できないと思うので、私たちが地方のIT産業の底上げの力になりたい。東京がダメということではなくて、地方は中央と違うことを知ってもらって、地方の声を中央に届けて生かしてもらいたいのです。
福澤諭吉さんは、トップ層の超優秀な人材を育てるためではなく、その下の層、トップに次ぐミドル層の人材をより多く育てるために、慶應義塾大学を創立したと聞いたことがあります。日本の国力を上げるためには、一部のトップ人材を育てるよりも、層を広げることが大事だと考えていたようです。私はこの考えに共感しています。今のIT産業界には、それと同じような仕掛けが必要です。
ANIAには、各都道府県にある地方IT団体の大半が参加しています。それぞれの団体に加盟する会員企業を合計すると約2000社です。もし、この2000社が一気に消滅したら、日本のIT産業は成り立ちますか? 東京の大手IT企業だけで、日本のユーザー企業のIT環境を守ることはできますか? きっと不可能です。下請けかもしれませんが、この2000社が日本のIT産業を下支えしているはず。この層のレベルアップが、日本のIT産業力を上げるカギになると思っています。
──そのために、どのような活動を新たに始めますか。 長谷川 今は景気もよくて、少し先の将来のことを考えるには、絶好の機会。地方のミドルクラスのIT企業のビジネスをすぐに拡大するような施策よりも、10年先、20年先をみた施策を手がけたい。
まず「中央」の教育戦略を見直してもらわないといけないと思っています。とくに、小・中学校の教育、ITを使う・つくるためのスキルを小・中学校のレベルからもっとやらなければならない。小・中学校でもITを使う、学ぶ機会が増えていますが、他の先進国と比べるとまだまだ。相当遅れています。ですから、文部科学省に対して、義務教育期間でのIT教育を発展させてもらいたい。ユーザー、ベンダーを問わず、国全体のITリテラシーとスキルを上げるところから始めるつもりで、文科省とコンタクトを取っています。
若い人材の抜擢をIT企業はもっと考えるべき
──日本のIT産業は、多重の下請け構造になっていて、下請け事業者がほとんどです。遠い将来を見据えた教育戦略の見直しも大事ですが、オフショア開発の定着とクラウドの普及で、従来のタイプの開発プロジェクトは減少し、ピラミッド構造が壊れるはず。下請けのソフト開発企業の業容転換は「待ったなし」だと思います。 長谷川 日本のIT産業がつくり出したピラミッド構造をみると、下請けのソフト開発企業は、仕事が降ってくる状況に甘えていた部分があったことは否めません。産業自体が成長しているときは、それでもよかった。でも、成熟期を迎えた今は、ご指摘の通り、変わらなければならないと感じています。これからは新しい仕事を生まなければ成長どころか生き残りも難しい。ビジネスをクリエイトする力が、多くのITベンダーに求められています。そして、これも教育の貧しさの現れです。事業を創造する人を育てるという仕組みがなかったことに起因している。私が言っている教育戦略の見直しは、技術者だけの話ではなく、ビジネスを創造する人を育成する、マネジメントする人を育てるという意味も込めています。
──エンタープライズIT業界が高齢化して、若い人に人気がないのも気になります。 長谷川 過去にはプログラマやSEを酷使しすぎた時代があったのは事実。3Kとか、最近でいえばブラック企業といわれることもあります。ただ、産業自体が急成長しているのに、コンピュータを触ることができる人が少なかったから仕方がない。ただ、これは成熟したことで変わってきていますし、各IT企業も学んでいます。
高齢化が進んでいるのは、確かに私も気になっています。IT産業は、ニーズの変化と技術進化のスピードが他の産業に比べて驚くほど速い。テクノロジーを追いかけることができるのは、30代までだと思います。だから、若い人材の抜擢は絶対に必要です。
昔は経営幹部が集まる会合には、髪の毛が黒い人が大半でした。でも、今は白髪ばっかり。若い人は現場の仕事が忙しくて、少し先の将来を見据えることに割く時間はないかもしれませんが、若い人が企業や地域の垣根を越えて意見を交換し、刺激を受けられるような取り組みが欠かせません。こうした活動は、京都のIT団体で行ったことがありますので、ANIAに加盟する他の団体でも手がけられるようにしていきます。
──今回は、教育の見直しを中心に、長谷川会長が感じておられる問題意識について多くのことを語っていただきました。 長谷川 日本のIT産業は悪いところだけではありません。世界に誇ることができる力、すなわち品質の高さと任された仕事をやり切る力をもっています。言い尽くされたことかもしれませんが、この点には自信をもっていい。よその国のソフト開発企業と話すと、日本ではあたりまえのようなことが、他国ではできていない。日本が誇る高品質。それを武器に世界に打って出て、成功を収めるのは十分に可能だと思います。

‘今の国内IT産業を下支えしているのは、全国の中堅・中小ソフト開発会社です。今は転換期。教育戦略を上流から見直して、10年先、20年先の姿を見据えた施策を打ちます。’<“KEY PERSON”の愛用品>腕になじむORISの腕時計 スイスの有力メーカー、ORISの腕時計。時計選びにそれほどこだわりはないというが、ORISは「腕にしっくりとなじむ」ところがお気に入りとか。竜頭や文字盤が大きくて存在感があり、大柄な長谷川氏にマッチしている。
眼光紙背 ~取材を終えて~
ANIAの長谷川亘さんは、ITのプロというよりは教育のプロ。それだけに、IT業界人とは異なる雰囲気をもっていて、人材育成に対する熱意が強く伝わってくる。インタビューでは、IT人材だけでなく、日本の学校教育制度の問題点をいくつも指摘していただいた。
長谷川さんが言うように、日本のIT産業は転換期に差しかかっている。地方のIT企業、中小ソフト開発会社にとっては、過去のビジネススタイルでは生き残りがきっと難しい。そんな地方の中小IT企業を支援する役割を担う地方IT団体は形骸化している。IT企業も団体も、変化を迫られている時期にある。
「地方の声を中央に届けて改革する」「ミドル層のスキルを底上げする」など、長谷川さんの指摘は、どれも納得がいく。過去に同じ問題意識をもっていた人はいたが、解決には至っていない。
全国規模のIT団体の会長として、どう解決に導くか。長谷川さんは、IT業界の古き慣習に左右されることなく、IT業界人とは異なる観点でIT産業の課題解決に挑もうとしている。(鈎)
プロフィール
長谷川 亘
長谷川 亘(はせがわ わたる)
京都府出身。早稲田大学、コロンビア大学を卒業。教育関連団体の幹部を複数務めており、現在、京都情報大学院大学の教授と一般社団法人京都府情報産業協会会長、学校法人の京都情報学園理事長を兼務。2013年からは、一般社団法人の全国地域情報産業団体連合会(ANIA)の会長も務める。
会社紹介
各地域に存在する、複数のIT産業関連団体の情報共有や協業を促進する目的で設立された一般社団法人。各都道府県には、その地域のIT企業を会員にした団体が組織され、個別に活動しているが、各団体の連携が取れていないケースが大半だった。この課題を解決するために、全国地域情報産業団体連合会(ANIA)が設立された。参加するIT団体は、北海道から沖縄まで全国規模。企業数は約2000社で日本最大のIT団体になっている。