“富士通流営業”の伝道師
──そういう富士通の営業マインドのようなものをエフサスにもち帰ったということですか。 高萩 安定した経営のためにはストックビジネスが非常に大事ですが、成長のためにはフロービジネスも欠かせない。そういう意味で、富士通流の営業をエフサスもやっていかないといけないという思いがあったので、伝道師となって、その手法やマインドを社内に浸透させることに努めました。
また、売る立場の営業部隊がサービス側にどういう要望があって、エンジニアとしてはそれにどのように応えられるのかということをすり合わせて、商品のイメージを一緒につくるという経験もしました。このときに、エフサスのリソースを生かしてこんな新しいビジネスができるのではないかというようなアイデアもたくさん浮かんで、復帰後に生きたと思います。
──そうしたアイデアを後にかたちにしたのがインフラインテグレーションや運用サービスということですね。 高萩 いまや柱の事業になりました。運用サービスが走り出した頃は、大口のお客様に採用していただいて、富士通のメンバーやお客様と一緒に、今で言うITIL(IT Infrastructure Library)のようなものを独自につくってノウハウを蓄積することができました。インフラインテグレーションなんかは、最初、3~4人のインフラSEを育てるところから始めたんですが、すぐに富士通から、「そこをエフサスにやってもらえると、自分たちはアプリケーションのほうに行けるから、どんどんやってほしい」と言ってもらえて、100人規模で人員を確保しようということになり、あっという間に大きくなりました。
──そういった連携にも、富士通とのパイプが生きたわけですね。インフラインテグレーションや運用サービスは、立ち上げ当初から主力事業になるというイメージがあったのでしょうか。 高萩 いやいや、そんな大それたことは考えていませんでしたよ。自分の数字にいくらか貢献してくれるだろうと思っていただけです(笑)。ただ、東京、首都圏というパイの大きな市場を所管していたので、ここである程度育てば、全社の中核に自然に成長すると思っていたとはいえるかもしれません。
90年代から2000年代の初頭くらいまでは、新しいビジネスを積極的にやろうという気運はエフサス社内にありませんでした。新しいことをやろうとすると、富士通グループのどこかの会社がすでにやっていたりして、「それはうちがやることじゃない」と押さえ込まれてしまうような雰囲気があったんです。でも、保守のストックビジネスだけでは先細りになるのはみえていましたし、新しいことをやらなければという危機感はありました。だから、部下たちのビジネス創出の提案をどんどん支援し、下から組織を突き動かしていくようにしました。そうやって、上流の企画・コンサルティングから設計・構築、導入・展開、運用・保守まで、お客様のシステムのライフサイクル管理(LCM)を全部カバーできるトータルサービスベンダーとしてのビジネスモデルをつくってきたんです。
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