アメリカでの成功は夢
──アメリカに進出されているじゃないですか。グローバル展開についてはどうですか。 一生懸命にやっていますが、私よりもうまくやる人が出てこないと難しいですね。アメリカでちゃんとグローバル展開の絵を描ける人が必要だと思っています。
──やはり難しいですか。 難しいですよ。だって、B2Bの分野においてアメリカで成功した日本企業は数えるほどですから。とくに、ソフトウェア製品で成功した会社は、ほぼ皆無です。その意味では、最初にアメリカで成功した会社になってみたいと思いますが、残念ながら私じゃない。ただ、そのための礎みたいなのは、しっかり用意をしておきます。
──アメリカ以外の地域はどうですか。 まずはアメリカですよ。アジアやヨーロッパに行ったって、みんなアメリカしかみていません。だから、アジアに出る人の気持ちがよくわからないんです。アジアで売れたとしても、次にグローバル展開するときには、また最初からになってしまう。ところが、アメリカで成功すると、世界のどこでも売れます。なんで、二回も苦労する道を通るのかと。
──御社のゴールとしては、グローバルカンパニーになるというところですね。 ゴールは決めていませんよ(笑)。一つのマイルストーンではありますが。私のゴールは、60歳で辞めるということです。
──本当に本当ですか。 60歳を過ぎたら老害でしかない。本当に辞めますから。IT業界の現場の指揮を執ることはないでしょうね。もう十分に走ってきました。60歳を過ぎたら、残りの人生を楽しみます。私は戻ってきません。

‘すでにトップではないでしょうか。クラウドインテグレータとしては、日本でナンバーワンだと思っています。’<“KEY PERSON”の愛用品>三代目、クロスのボールペン 社会人になったときに「とにかくボールペンはいいものを使え」という先輩のアドバイスをもらって、以来、クロスのボールペンをずっと愛用している。酒に酔って失くしたのが二度。現在のものが三代目になるという。
眼光紙背 ~取材を終えて~
60歳で仕事を辞めるという話。どこまで書くべきか迷ったが、しっかり描くことにした。「技術についていけない」「残っても老害でしかない」を繰り返す佐藤社長。技術者集団をつくり上げたという自負があるからこその発言ではないだろうか。
インタビューでは、先々の事業戦略やクラウドの未来についてもうかがっている。しかし、書かなかった。IT業界のなかで最も変化の激しいクラウドの分野でビジネスを展開する以上、どう答えても陳腐に思われがち。質問自体が適切でなかったのかもしれない。
ただ、何を聞いても冷静に応える佐藤社長が、アメリカ進出に対してだけは強い思いを感じた。アメリカでの成功は、IT業界人としての夢だという。これも後継者に任せるとのことだったが、社長退任まで残り8年、ぜひ佐藤社長に成し遂げていただきたい。(弐)
プロフィール
佐藤 秀哉
佐藤 秀哉(さとう ひでや)
1963年、新潟県生まれ。87年、東京理科大学情報科学科卒業。同年、日本IBM入社。中堅・中小企業向けの営業を担当。00年、年間最優秀営業部員に贈られる「セールス・オフィサー賞」を受賞。01年、セールスフォース・ドットコム日本法人の立ち上げに参画し、執行役員営業統括本部長に。05年、SIerのザ・ヘッド社長。06年、ザ・ヘッドから分社独立したヘッド・ソリューションズの社長に就任。07年4月、テラスカイに社名変更し、現在に至る。
会社紹介
2006年の創業以来、クラウドに特化したコンサルティングサービスとシステム開発、クラウドサービスなどを提供しているクラウドインテグレータ。「クラウドの技術力」に注力し、クラウドの普及とともに業績を拡大してきている。15年4月30日には、東京証券取引所マザーズ市場への上場を果たした。