サーバーの仮想化環境が広く普及してきたことで、ストレージ市場が大きく変わろうとしている。市場が求めているのは、「仮想化専用」のストレージだ。仮想化環境専用ストレージで市場に参入したティントリにとっては、まさに時代が追いつき、風向きが変わってきたというわけだ。ストレージ市場のベンチャーといわれるティントリも、日本法人の設立から5年を迎える。ベンチャーからエスタブリッシュメントへの第一歩を踏み出し始めた。
──経営者としてのスキルをどのように身につけたのか、これまでの経歴を教えていただけますか。
大学卒業後すぐに入った会社を4年ほどで辞め、次に入社したのがサン・マイクロシステムズです。ここでビジネスマンとしてずいぶんと鍛えていただきました。メーカーの立ち位置ではありましたが、ディストリビュータの仕事の進め方をずっとみることができ、お客様とのやり取り、仕事の進め方など、仕事を生み、育て、完成させていくプロセスを学ぶことができました。30代前半のこの期間に、ビジネスマンとしての基礎体力を身につけることができました。
また英語を身につけたのもこの時期です。学生時代はからっきしでしたが、毎日届くメールの半分は英語。この世界で生きていくためには身につけなくてはと、ものすごく勉強しましたよ。まずは読めるようになって、書けるようになりました。一番最後まで時間がかかったのはヒアリングですね。でもそのおかげで、こうして外資系企業の日本法人の代表を務めることができるようになりました。
──日本法人というと、ネットアップ、データドメインの日本法人を立ち上げていますね。この2社の共通項はありますか。
HDDのハードウェアの部分を洗練させ、パフォーマンスを高めるのが一般的な時代に、ネットアップはOSなどのソフトウェアでファイルサーバーを最適化しました。一方、データドメインはバックアップという狭い世界ですが、それまであった世界をガラッと変える技術力がありました。2社とも、それまであった世界を変えるような技術力をもっていて、そこに強く惹かれました。
09年にデータドメインがEMCに買収された時、多くの会社から誘われましたが、ネットアップ、データドメインのようなドキドキは感じなかったので、お断りしました。その後、EMCでデータドメイン製品の普及に尽力しましたが、11年頃に達成感というか、自分のなかで手応えができて……。そんな折に、ティントリの話が舞い込んできました。
大手の取締役員からベンチャーの社長へ
──それでEMCの執行役員から、ベンチャーのカントリーマネージャーになられたんですね。ティントリのどんなところに惹かれたのでしょうか。
10~11年頃は、ストレージのメディア媒体がHDDからフラッシュメモリに変わる大きな変遷期でした。しかし、それはハードウェアの変化であって、物理環境から仮想化環境に適応する変化ではありませんでした。各社はフラッシュメモリにシフトすることでパフォーマンスを上げ、物理と仮想の違いを埋めようとしていましたが、私は違和感をもっていたんですよ。物理環境と仮想化環境はコンセプトが違うのに、物理環境のために設計したアーキテクチャがそのまま使えるのだろうか、と。例えば、ESX Serverでは、それをちゃんとアジャストしている製品を出している。ストレージの世界でも何らかの解は出てくるはずだ、と思っていました。
そんな時にティントリの、VMDK(仮想マシンディスク)単位で仮想化環境を管理していくというコンセプトを聞き、感動しました。この技術はきっと日本からは生まれてこないだろう。つまり、いずれ海外から日本に上陸してくる。そう思ったらこのすばらしい技術を日本に上陸させる仕事を誰にも取られたくない、自分がやりたい、と強く思いました。
この技術に出会った当時から、他社が追随できるはずはない、と確信していましたが、ティントリがこの技術を生み出してから6年、いまだに同じようなアプローチができるベンダーは現れていません。ティントリがもっている差異化要因は圧倒的な魅力がありましたね。そして当時、ワールドワイドで70人ほどしかいなかったティントリに飛び込み、12年6月、首藤憲治(現:技術担当副社長)を右腕に、日本法人ティントリジャパンをスタートしました。
[次のページ]