ハードウェア、ソフトウェア製品の提供からシステム構築、戦略コンサルティングまで幅広い事業を展開する日本IBM。AIの潜在能力を引き出す活用環境など、確かなソリューションをそろえ、磨き続けてきたという自負がある。山口明夫社長は「これからものすごく経済成長しなければいけない日本の企業に、無駄なIT投資をしている余裕はない」と言い切り、顧客へ真に価値を生む提案に徹する姿勢を強調する。
(取材・文/下澤 悠 写真/大星直輝)
リアルタイムのデータでAI活用へ
──2025年はAIエージェント元年と言われた年でした。代理人のように業務をこなしてくれる期待は高まっていますが、まだ実際のビジネス価値にはほとんど結びついていないという指摘もあります。
課題は二つあると思います。まず、AIエージェントが最も機能を発揮するのは、たくさん量があって、かつ複雑な処理の場合です。そうでなければ人や従来のRPAでいい。業務の特性を分析し、どこにどういったAIを活用するのがいいのかということをちゃんと設計することが重要になります。もう一点は、やはりデータをきちんとそろえることです。整理するだけではなく、どんどん新たにつくられていく、リアルタイムのデータを扱えることが今後は重要になります。
以前からわれわれは統合コンテナプラットフォームの「Red Hat OpenShift」でハイブリッドな開発・運用環境を提供し、「HashiCorp」の製品群で自動化を可能にしています。米IBMは最近、データなどのリアルタイム処理ができるプラットフォームを持つ米Confluent(コンフルエント)を買収しました。このように、企業がAIエージェントを活用できるようにする環境を整え続けています。
料理に例えると、AIは包丁や鍋などの道具で、データが食材です。経営者が事業でそもそも何がしたいのかを考えることは、日本食なのかフランス料理なのか、まず何が食べたいのか考えるのと一緒です。それをせずに道具ばかり買っていても、満足できる料理はつくれませんし、効果は出ません。食材であるデータも、必要なものがそろっていなかったり、古いものや腐っているものがあったりすれば料理はできないでしょう。
──AIの潜在能力は大きい一方で、さまざまなリスクもあります。企業が安心してAIを活用するために、IBMはどう取り組みますか。
信頼できるAIのためには、どういうふうにデータを使っているかということをみんなで整備していく必要があるでしょう。今、使われている基盤モデルには、どういうデータを学習しているかまったく分からないものもあります。また、情報漏えいやアクセス権の問題もあるので、パブリッククラウドではなくオンプレミスでも運用できるAIをどんどん開発していきます。
企業内のさまざまな部署がそれぞれAIを導入したために、「誰が、いつ、どの基盤モデルを使ったのかがわからなくなってしまう」という話をよく聞きます。どのエージェントやコマンド、アプリケーションが、いつ・誰の権限でどのAIにアクセスし、どういうアウトプットを出したかなど、全てのログを取らないと、AIはもう経営リスクそのものになりかねません。そのためお客様と一緒に、そうした全体のガバナンスをちゃんと確立するプラットフォームを設計してつくるケースが増えてきました。
「モダナイゼーション」を正しく伝える
──約3年前、本紙のこのコーナーで山口社長はモダナイゼーションについて「顧客はクラウドをはじめとしたITありきではなく、まず自分たちのビジネスや業務をどう変えていくのか、優先度を明確にしてDXに取り組みはじめた」と指摘していました。こうした傾向は加速していますか。
だいぶ浸透してきたとは感じますが、二極化が進んでいるとも思います。経営者に理解がある企業はきれいなシステムになってきていますし、そうでないところは、何かが足りないままでしょう。モダナイゼーションというのは、適材適所でしっかりとやっていくことが重要なのです。だからわれわれの業界としては、それを正しく伝えるのが一番の役目だろうと思っています。
住居であれば、「土台がしっかりしているから建物だけ新築する」「土台も古いから全部変える」、あるいは「電気設備だけ最新化する」などと考えますよね。システムも同じはずです。しかし、すごくしっかりしているものなのに「これは30年前から使っているのでモダナイゼーションしないといけませんよ」などと言って全部変えてしまうような、結局企業の競争力を削いでしまうプロジェクトがたくさん行われてしまっていると思います。
IBMが、メインフレームなどオンプレミスのシステムを多く持っているからこう言っているのではありません。クラウドに適したものはクラウドにと提案しますし、全体を見た上でちゃんと分けてきれいにすることを勧めます。お客様とは長い間一緒にシステムをつくり上げてきているので、われわれはお客様の観点に立った提案ができます。
──米IBMは29年までに、エラー耐性を持つ世界初の大規模な量子コンピューターを実現するとしています。日本においては、量子コンピューターへの期待や関心は高まっていると感じますか。
皆さんいろいろなユースケースでどんどん使っていますよ。われわれは神戸の理化学研究所で最新の量子コンピューターとスーパーコンピューターの「富岳」をつなげていますが、それぞれが得意な計算をすることでかなりの性能が出ています。エラー訂正の仕組みも大体見えてきているので、29年にはそうした量子コンピューターが実現できると正式に発表しています。そうなると、さらに商用利用が加速するでしょう。だから今、各企業は素材開発や、遺伝子や病気の解析、気候変動対応など社会課題も含め、どういった使い方が一番いいのかを検討しています。
良いことばかりではなく、量子コンピューターの計算能力を利用して従来の暗号技術を破られるリスクも同時にあります。暗号化を強固にする仕組みなど、セキュリティー対応も並行して進めていかないといけません。
日本の存在感は大きい
──量子コンピューティング領域での国内研究機関との連携など、グローバルのIBMのビジネスの中でも、日本IBMの存在感が感じられる場面がよく見られます。
この領域での日本の存在感はとても大きいです。IBMは170カ国以上で事業をしていますが、これだけIBMの量子コンピューターがあるのは、日本は米国に次いで二番目でしょう。何も私が日本へ誘導しようと米国本社を相手に交渉したわけではありません。(Rapidusとの協業など)半導体工場についてもそうですが、IBMは米国も日本も一緒の会社ですから、経営チームが議論して「やはり日本が良い」と普通に決まっているだけです。日本は投資対象国なのです。
その中で、技術の高さは理由にあげられるでしょう。日本IBMの研究開発エンジニアのスキルは高く、そして実際に(量子コンピューターなどを)使おうとしている日本でのモメンタム(勢い)もあります。インターネット経由で米国のものを使うより、日本の中でローカルで使えば、国内のお客様がもっと利用できるし、効果も高いです。
──25年9月には富士通との協業検討開始を発表しました。IBMと富士通にとってはどのようなメリットが見込めるのでしょうか。
例えば、富士通が今後提供していかない方針のインフラ製品をIBMは提供できますから、一緒に組むことでソリューションの幅が広がります。ヘルスケア領域の電子カルテは、両社でそれぞれたくさんのお客様がいますが、もっと有効活用を進めようとデータ共有などを検討しています。病院経営の大変な状況を考慮しても、次の新しい段階のことを一緒に見ていく必要があります。
──各種IBM製品の販売を手掛けるパートナー向けの販売支援策や協業の強化などで、注力していることはありますか。
今は、再販と言ってもIBMの製品を買って売っていただくだけではなく、製品をそれぞれのパートナーのソリューションに組み込んでもらうことが増えてきています。当社としては、IBM製品を組み込んだパートナーのソリューションを販売するためのマーケティング活動を一緒に進めることや、ソリューションをつくる際のサポートなどをよくさせていただいています。
──その他にパートナー戦略として力を入れていることはありますか。
「watsonx Orchestrate」を生かしたエージェント型AIエコシステムによる共創のためのパートナープログラム「IBM Agent Connect」を展開していきます。パートナーのAIエージェントとの連携をスムーズにするための取り組みで、柱である「Agent Catalog」に登録してもらう活動を進めています。26年は共創を本格化します。
眼光紙背 ~取材を終えて~
社長自ら、さまざまな機会に分かりやすく発信したいのは、IBMについてではなくとにかく「システムのこと」だという。経営者の理解が進めば、いいシステムが日本でもつくられるという強い思いがある。裏を返せば、今は得られる効果が投資に見合わないモダナイゼーションも多いということ。インタビュー中はそんな現状を何度も憂いていた。
社員には「お客様に価値を生み出さない『モダナイズ』というプロジェクトは提案するな」と伝えている。「同時に『売り上げも落とすな』と言っているので、みんな大変だと思う。でも、大切にしなくてはいけないところからずれてしまったら、絶対に信頼を失うし、企業の評価に関わる」と語気を強めていた。「正しいと思うこと」をやり抜く、確固とした信念を感じた取材だった。
プロフィール
山口明夫
(やまぐち あきお)
1964年、和歌山県生まれ。87年、大阪工業大学工学部を卒業。同年、日本IBMに入社。エンジニアとしてシステム開発・保守に携わった後、2000年問題対策のアジア地域担当、ソフトウェア製品のテクニカルセールス本部長、米IBMでの役員補佐などを歴任。07年以降はグローバル・ビジネス・サービス事業を担当し、理事、執行役員、常務を務めた。17年、取締役専務執行役員に就任。併せて米IBM本社の経営執行委員にも就いた。19年5月より現職。26年1月から経済同友会代表幹事を務める。
会社紹介
【日本IBM】米IBMの日本法人として1937年に設立。2024年12月期の業績は、売上高が8537億円、営業利益が375億円。情報システムに関わる製品やサービス、コンサルティングなどを提供。米本社は1911年設立。