視点

DVD+RWに思うこと

2002/07/29 16:41

週刊BCN 2002年07月29日vol.951掲載

 技術革新とフォーマットとは、相反する要素である。技術革新は不断に進めなければならない。それは社会的ニーズだ。ところが、その技術を普及させるためには、社会基盤的な存在にならなければならない。ここで話がおかしくなってくる。統一フォーマットを打ち出し、広くメンバーの参加を募るには、技術が凍結、固定される必要がある。つまり、その技術は進歩がストップさせられて初めて、社会に普及していくのだ。ここにイノベーションのパラドックスが生じる。本来であれば最先端の技術を享受できるはずのユーザーは、実は、その時点では陳腐化した過去の技術を使わざるをえない。

 そんな技術進歩と、技術統一の矛盾を突破するには、唯一、プライベートに、言い方を換えると自分勝手にやりたいことをやるという輩が現れることだ。それは私的なものであっても、必ずや社会から歓迎されて、いわゆるデファクト・スタンダード化していく。その意味で、私はDVDの異端児、DVD+RWに大いに期待していた。DVDプレーヤーの世界では、DVD-RAMとDVD-RWのDVDフォーラム制定フォーマットのみが正式で、DVD+RWは、DVDとは名前がついているが、実は、まったくDVDとは関係のない、プライベートなものだ。その意味では、正統性は全然ないのだけれど、さきほどの論理でいうと、統一ではなく私的な、勝手フォーマットなのだから、なんでもできる――はずだ。

 ところが現実には、あまり面白くないのである。この前も、DVD+RWアライアンスの記者説明会では、あまりに論議が低調なので、最後に意見を述べた。「この程度の技術しかないの? せっかくDVDフォーラムから決別して、自分たちで決められるフォーマットにしたのだから、もっともっと画期的な機能、性能を見たい」売り物の互換性は分かった。それ以外の、もっと独自の魅力はないのだろうか。先発が技術の統一性に縛られて前に進めないなら、その代わりに圧倒的に凄い能力を身につけたチャームが欲しい。例えば、MPEG4でハイビジョンが赤色レーザーで記録できるとか、30倍速の速さで記録できるとか。さすが最新フォーマットは違う、先発にないとことをやってくれたと賞賛されるようなDVD+RWが欲しい。勝手にやれる規格なのだから、できるはずだ。同じようなフォーマットが3つも要らない。
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