大航海時代

<大航海時代>第22篇●新しき勇者たちへ 第46話 高野山

2002/08/26 16:18

週刊BCN 2002年08月26日vol.954掲載

大阪電気通信大学 副理事長 水野博之

 高野山に登ってきた。よく知られているように、この地は9世紀(816年)、空海(弘法大師)によって建てられた真言密教の根本道場である。高野山と言えばまず思い浮かぶのはその山の深さである。今でこそ南海電車によって麓まで直行、そこから山頂まで一気にケーブルで登ることができるが、昔はそれはまぁ大変だったろうと思われる。

 この1000メートル近い深山を空海がどういう理由で道場としたのかはよくわからない。しかし、考えてみれば「道」を求めるというのはそんなものであろう。なまじっかな覚悟で求められるものではない。千里を遠しとせず、山峡何するものぞ、と思わなければ「道」なんて簡単に求められるものではないということを空海は語りたかったのではないか。これに比べて現在はなんとまぁ、簡単に手軽に「道」が求められるようになったことか。

 隣の八百屋さんに大根を買いに行くような気楽さで「道」を求めたんじゃ、「道」」の方も大変だ。やはり、手取り足取りでは道は求めることはできないと心得るべきだ。その基本は「本人の熱意」である。深山未踏を越えて道を求める心である。そのような意味を込めて、空海は高野の地に道場を開いたのであろう。考えてみれば、「高野山」という名もなかなかの意味合いをもっている。

 アントレプレナーも同じことだ。「自らが未踏の地」を克服する覚悟がなかったら初めからやらないほうがいい。その覚悟をもった人だけが求めるものを得られると言ってよい。こう考えてくると、空海はまさに日本を代表するアントレプレナーと言ってよいであろう。高野山は日本のアントレプレナーの道場であった、と言ってよい。(高野山・西南院にて)
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