いまのパソコンソフトが個人やご町内のメンタリティや知的水準にどんな影響を与えているか、反省してみよう。プログラマのなれの果てである視点子の場合、そんじょそこらのパソコンソフトの利用法は大したことはなく、以下に尽きる。

 ワープロソフトで著述をする。表計算ソフトでBasicの教材を作る。プレゼン用ソフトで講演資料などを用意する。メールで職場・業界や学会と連絡する。「MS Watch」(マイクロソフトウォッチ)で、セキュリティ情報を月に2回以上入手する。たまに、三文小説や洋書を買う。つまりは、肥大な(8000万行を超える)基本ソフトやミドルウェアの多分1割しか使ってない。9割以上は、視点子にとっては、有害無益のお飾り機能というほかはない。

 効用とは別に、かえって利用者を困惑させる不全な機能が、少なくとも3つある。まず、セキュリティホール問題。「MS Watch」をご覧になれば分かるように、いまの基本ソフトは、クルマに例えれば次のメタファーがなりたつ。「クルマが年に1万人の死傷者を出す欠陥商品とすれば、そんじょそこらの基本ソフトは、1日に1万人以上の文化的死傷者をだす不全商品だ」

 次に、信頼性問題。ミツワ石鹸ではないが、よく落ちる。この1か月で、1年前改版されたOSは100回以上落ちた。信頼の置けそうなフリーソフトのブラウザやメーラーをわざわざ使っているにもかかわらずである。そして、使い勝手の問題。妄りに改版されるので、事務所と研究室と自宅のファイルその他の版管理が煩雑この上ない。結局、自衛手段を講じるほかはないが、これがなかなか一筋縄ではいかない。使わないで無視するのが一番いいのだが、町内会との付き合いではそうもいかない。

 禁欲的に使う。これはプログラマが昔からやってきたサブセッティングが中心で、とても有効である。ヤバそうな機能は全部取っ払ってしまえばよい。ファイル消滅のような致命的な不全に対しては、煩をいとわずバックアップをとる。これらの対策群は、精神衛生上、不健全この上ない。誤解を恐れず極論すると、パソコンソフトは町内会のメンタリティを明治や元禄や文化文政のお江戸より、劣化させているの実情だというほかはない。