視点

コストとリスク

2003/01/06 16:41

週刊BCN 2003年01月06日vol.972掲載

 昨年終盤から、Linuxを巡る動きがにわかに騒がしくなってきた。e-Japan計画がいよいよ本格化してきたのにともない、Linuxに代表されるオープンソースソフトウェア(プログラムの設計情報が公開されているソフト)が、「一般商用ソフトに比べ、セキュリティ面で優っているのではないか」、「電子政府、電子自治体の推進にあたっては、オープンソースを視野に入れ検討する必要がある」――。そんな議論が白熱している。

 総務省では昨年12月、IT戦略本部に対し「情報通信の安全保障について」と題する提言を行った。その中で、「OSのオープンソース化の進展に対応した政策、戦略の展開が重要」とし、ネットワーク関連ソフトのオープンソース化の研究を呼びかけている。

 こうした背景には、ソースコードが公開されていないマイクロソフトのウィンドウズに対する警戒感があることは言うまでもない。マイクロソフトでは、すでに「シェアードソースイニシアティブ」というメニューを用意し、個々の要求に応じソースコードを一部公開する方針を表明。OSの“ブラックボックス批判”への対応を打ち出している。とはいえ、ソフト自体にユーザーが手を加えることは認めず、修正や書き換えはマイクロソフト側が一手に行う姿勢は崩していない。

 「Linuxの場合、度重なるバージョンアップ要求に悩まされる恐怖から解放される」。Linux支持派のあるエンジニアのつぶやきだ。Linuxの成熟度の高まりとともに、今年は「オープンソースか、ウィンドウズか」という議論が、従来にも増して激しさを帯びてくることは間違いない。ただ、その際に気を付けなければならないのは、一方を“善”、他方を“悪”と決めつけてしまうムードが生まれかねない点だ。この議論は、ともすれば感情に流されるきらいがあり、最近のウィンドウズを巡る報道にも、多分にその傾向が感じられる。

 ソースコードの書き換えは、それなりのスキルが要求されること、書き換えに伴う障害発生リスクは、基本的にユーザー側が負わなければならないこと。オープンソースソフトが内包するそうした課題に、十分対応できる体裁がシステム構築側、ユーザー側にあるか否かで、選択すべきソフトは自ずと変わってくる。ムードにとらわれず、コストとリスクの見合いで、プラットフォームの選択を考える必要があろう。
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