視点

ソフトウェア特許

2005/10/31 16:41

週刊BCN 2005年10月31日vol.1111掲載

 先月、ソフトウェア特許としても知財高裁で初の大合議制としても注目された、いわゆる一太郎特許訴訟は、一審で敗訴したジャストシステムに逆転勝訴の判決が下った。

 この判決への論評は別の機会に譲るとして、著作権法に著作物の例示列挙としてプログラムが明文化されて20周年の今年に、このような判決訴訟が行われたことに運命的なものを感じる。ソフトウェアは著作権で保護することが国際的な共通認識となっていた約十年前、突如、ソフトウェア特許が認められ始めたことを記憶されている方も多いと思う。

 ご存じの通り、何の手続きも必要なく表現がなされた時点で権利が発生する著作権に対し、特許権を取得するには綿密な書類を整え申請が必要だ。特許を取得するための要件は法律で定まっているが、実際に特許をどこまで認めるのかについては、特許庁の審査官の裁量が大きい。そのような特許制度をソフトウェア開発企業が最大限利用するには、当然それ相当のノウハウが必要とされる。しかし、当時、日本のソフトウェア産業は、まだ足腰が弱く、ソフトウェア特許を認めれば、特にベンチャー企業にとってはノウハウを蓄積するまでの負担が大きく、その成長を阻害するのではないかと危惧していた。

 著作権では、プログラムの創作的な表現だけが対象となり、その技術的基礎となっているアイデアについては独占できない。そのため、同一の機能やアイデアを実現する様々なソフトウェアの開発が可能であり、市場による競争を前提として多様なソフトウェア開発が可能である。一方、特許権は、技術の基となるアイデアを絶対的に独占することとなるため、ソフトウェアの新規開発に対する影響は著作権よりも大きい。

 個人的には、ソフトウェア特許のあり方は、知的財産制度の中で元々矛盾を抱えていたのではないかと思う。ソフトウェアの保護を著作権で行うのか特許で行うのか、または、2つの法制度の整合性をいかにとるべきか。当時十分に議論することのないまま、両者を矛盾せずとして併存させてきたことが、今回改めて見えた。知財立国ならぬ知財戦国時代の到来とも感じる。少なくとも、ソフトウェア業界が不当に足を引っ張られることがないよう、もう一度原点に立ち返って、ソフトウェア特許のあり方について議論が必要ではないだろうか。
 
一般社団法人 コンピュータソフトウェア 著作権協会 専務理事 久保田 裕
久保田 裕(くぼた ゆたか)
 1956年生まれ。山口大学特命教授。文化審議会著作権分科会臨時委員、同分科会国際小委員会専門委員、特定非営利活動法人全国視覚障害者情報提供施設協会理事、(株)サーティファイ著作権検定委員会委員長、特定非営利活動法人ブロードバンドスクール協会情報モラル担当理事などを務める。主な著書に「情報モラル宣言」(ダイヤモンド社)、「人生を棒に振る スマホ・ネットトラブル」(共著、双葉社)がある。
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