日本語も話せなかった私は、中国の国費留学生として、カバン1つで異国の日本へやってきました。そして、工学博士を取得した後、ゼロから企業を創業し、東証一部に上場させました。こんな私には努力の大切さは当然、分かっています。

 しかし、私は親や先生や先輩に努力せよと言われて努力したわけではありません。努力しないといけない、とも思っていません。何よりも、自分は他人より特別に努力したと思っていないのです。

 初めてお会いする方からはよく「大変な苦労と努力をしただろう」と言われます。「そうでもありませんが…」と答えると、相手の方はだいたい「そんなはずはないだろう」と困惑の表情を見せます。

 そうです。我々は長い間、「努力=成功=幸せ」という嘘の方程式にだまされ続けてきました。

 成功した人は、努力したから成功したのではありません。成功するようなことをしたから成功したのです。幸せになれた人は、努力したから幸せになれたのでもありません。幸せになるようなことをしたから幸せになれたのです。

 少年時代の私の家族達は努力する自由を奪われていました。中国革命で私の家族は財産を奪われたうえ、政治的差別を受け、社会の底辺に抑えられていました。我々家族にとって努力は全く意味のないことでした。いくら努力しても底辺から這い上がることはできませんでした。もっと重要なのは、私の家族からは努力しない自由も奪われたことです。毎日強制的に労働させられました。朝は日の出の前から働き、夜は星空の下で帰宅しました。「ほっといてくれ」と言って努力しない自由はありませんでした。

 努力する自由と、努力しない自由。それは一枚の紙の表と裏です。努力しない自由が奪われたとき、努力する自由もなくなるのです。努力しない自由がなくなると、努力は強いられるものになり、強制労働と同様になります。

 私は努力しなくてはならないと思ったことはありません。ただ、したいことのために知恵と体力を使うのみです。なぜならば、それらを使わないとしたいことができないからです。モラルを守り、他人に迷惑をかけないとの前提で、自分のしたいことをするのみです。それ以上でもそれ以下でもありません。

 努力を美徳だと思い込んで、努力することで安心しないでください。