IT業界のグランドデザインを問う SIerの憂鬱

<IT業界のグランドデザインを問う SIerの憂鬱>第17回 OSSは危険な存在か

2007/07/30 16:04

週刊BCN 2007年07月30日vol.1197掲載

 オープンソースソフトウェア(OSS)はライセンスフリーだが、技術サポートやバージョンアップが保証されない。本欄に前回登場したSRAのように、「だからこそ、ソースコードを読む技術力がビジネスチャンスを広げる」と考える企業は少数派だ。多くのSIerにとって、OSSは業界の秩序を根底から覆す“危険な存在”にほかならない。リチャード・ストールマンが「コピー・レフト」を提唱してから25年、ソフトウェア無償化の動きは着実に地殻変動のエネルギーを蓄えてきている。(佃均(ジャーナリスト)●取材/文)

加速する価格破壊の動き

転換点は1995年


 コンピュータメーカーや受託開発型SIerにとって、OSやミドルウェアが閉鎖的なアーキテクチャで構成されていたほうがいいに決まっている。ユーザーは特定メーカーのアーキテクチャに束縛され、ITベンダーは価格決定の主導権を握り続けることができる。受託開発型SIerは特定メーカーのアーキテクチャで保護されていたといっていい。

 ところがUNIXやWindowsでOSが共通化され、TCP/IPがネットワークの基盤となったのを境に、ユーザーは束縛から解放されていった。加えてSAPに代表されるニュー・アプリケーション・プロダクト(NAP)が、旧来の受託開発型SIerの利益構造を揺るがした。財務会計や販売管理といった基幹業務システムを、パッケージベースで構築する動きが顕在化したからだった。

 実をいうと、基幹業務システムを共通化する発想は、今に始まった話ではない。1960年代のMIS(Management Information System)や、80年代のSIS(Strategic Information System)。ユーザー企業はそのたびに注目したが、コンピュータシステム(ハードウェア)が高価だったこともあって、共通化に踏み切らなかった。プログラマを動員して手作りしたほうが、結果として安かったからだ。

 90年代の前半においても、事情は同じだった。ハードウェアは急速に低価格化したが、登場したばかりのNAP製品はいずれも高価だった。要員の教育費や保守管理費、バージョンアップに伴って発生する追加使用料などを勘案すると、まだ手作りのほうが安かった。仮に安くなるとしても、自社仕様でシステムを構築できることのほうに価値があった。

 現在、受託開発型SIerが抱えている問題──全体の売上高は増えても利益が出ない構造──の根っこ、別の言い方をすれば転換点は、95年ごろにあったとみていい。年表的にいうと「Windows95のリリース」「インターネットが普及」となるだろうが、受託開発型SIerの視点でみれば「システム開発がカスタマイズ型へ移行」ということになる。

 システム開発発注価格の圧縮圧力が高まったのは、それとほぼ同期している。「オープン化」とは、アーキテクチャに限ったことではなく、価格決定のメカニズムでもある。そして07年の現在、業界が直面しているのは「無償化に代表される価格破壊」なのだ。

GNUプロジェクト


 伸び放題の髪とヒゲ。

 インド更紗風の紫色の服。

 ゆるやかに踊るような手足の動き。

 長い沈黙。

 行者か聖者のような振る舞いをするとき、それは彼がご機嫌なしるしなのだった。

 リチャード・ストールマン。

 53年ニューヨークのマンハッタンに生まれ、71年ハーバード大学に入り、のちマサチューセッツ工科大学(MIT)人工知能研究室に移った。そのときゼロックス社のプリンタがしきりに紙づまりを起こしたので、自分で修理しようと思い立った。機械的な問題ではなく、プリンタ・ドライバに不都合があることを発見した彼は、ゼロックス社にドライバ・プログラムの公開を求めたが、答は「ノー」だった。

 OSSの発端となった伝説である。

 これをきっかけに、彼は「優れたコンピュータ技術は人類共通の財産として公開するべきである」と考えるようになった。そこで彼は自作のプログラム・エディタを公開した。現在、それは「GNU Emacs」の名で知られる。

 83年にMITを辞してフリーソフトウェア財団(FSF)を設立、ソースコードの公開と配布の自由、改良の自由を提唱した。折から高まっていたUNIX商用化の動きや、パソコン用OSのシェア競争に対するアンチテーゼだった。FSFの活動「GNUプロジェクト」は世界のソフトウェア工学研究者の支持を獲得し、リーナス・トーバルズ(Linuxの開発者)にも少なからず影響を与えている。

価格メカニズムに変化


 メインフレームが全盛だった80年代、ストールマンは異彩を放っていた。世界のコンピュータ業界の異端児であることが、存在の主張につながっていた。時として彼は、メインフレームのプロプラエタリ(独自)なアーキテクチャの対極に位置づけられたUNIXの伝道者であるかのように紹介された。そこで彼が発したのは「GNU is not UNIX」のコメントだった。

 FSFのシンボルGNUは、アフリカに生息する野生の牛「ヌー」のことだ。シマウマと一緒に群れを作り、草原を集団で移動する。「GNUはUNIXではない」の英文頭文字を取ると「G・N・U」。英語世界の短い回文で自身の立場を表明したのだが、難しく考える人々には意味不明の不思議なコメントと受け取られた。

 OSSという言葉が特別の違和感なく使われるようになった現在、ストールマンないしGNUプロジェクトはオープンソースソフトウェアを定義したエリック・レイモンドらから、「カセドラル(伽藍)モデル」と批判される立場にある。「彼が目指すのは、ソフトウェアの共産主義、完全自由主義である」「彼は権威を否定しつつ自ら権威の座に就いた」等々、ストールマンへの評価はさまざまだ。

 どのように評価するかは別として、現在、リチャード・ストールマンが提唱した「コピー・レフト」(著作権を認めつつプログラムの複製を奨励する権利)は新しい意味を持ち始めた。システム開発の中心がインターネットとエンベデッドに移ったのに呼応して、「無償化」が新しいキーワードになりつつある。OSSばかりでなく、ASPやSaaSというビジネスモデルが、メインフレームと同じように、受託開発型SIerを歴史の向こうに押し流すことになるかどうか。

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