IT業界のグランドデザインを問う SIerの憂鬱

<IT業界のグランドデザインを問う SIerの憂鬱>第18回 OSSがビジネスになる可能性

2007/08/06 16:04

週刊BCN 2007年08月06日vol.1198掲載

 昨年11月21-22の両日、福岡市で開かれた北東アジアオープンソースソフトウェア(OSS)推進フォーラム。議場外では大きな話題になっていたのに、本会議で一言も論じられなかったのは、「ソフトウェアの無償化とビジネスのあり方」だった。政府や大学研究機関がどんなにOSSを普及させようとしても、上から押し付けるだけでは現場は動かない。また、利益を生み出さなければ、民間はついてこない。笛吹けど踊らず、の状況が続く一方で、ソフトウェア無償化の動きは間違いなく強まってくる。OSSが意味するのは何か。(佃均(ジャーナリスト)●取材/文)

現状は“笛吹けど踊らず”

 北東アジアOSS推進フォーラムは、2003年の秋、大阪で開かれた日本OSS推進フォーラムの会議に中国、韓国の代表団を招いたのがきっかけとなって発足した。日中韓3国の官民共同機関が、OSSの普及策を協議し協力しようというのだ。翌04年4月に北京で第1回会合が開催され、昨年11月の福岡会合は第5回目となる。

 当初は3か国がお互いの腹を探りあう状態が続いたが、第3回のソウル会合でそれぞれの立ち位置が明確になった。日本はe-Japan重点政策のなかにOSSを取り込み、行政機関や教育機関のITコストを低減させたい。中国は年間100億ドルにも及ぶアメリカへの資金流出に歯止めをかけたい。100億ドルというのは、マイクロソフト社に支払っているライセンス料だ。韓国はOSSをテコに、世界にIT技術やIT技術者を“輸出”したい。

 三者三様の思惑が入り乱れるなかで、最終的に合意できたのは、ダブルバイト技術の標準化や人材育成策、信頼性や親和性の評価などだった。日本の代表団が「ビジネス化の方策は民間各社に任せるべき」と強く主張したためだ。

プロプラエタリへの対抗軸


 これに対して、ビジネスに直結する共同プロジェクトの早期立ち上げを提唱していた中国、韓国の代表団からは、「日本はOSSの意味が分かっていないのではないか」と不満の声が漏れ聞こえてきた。

 「OSSが指し示すのは、ソフトウェアの無償化ではない。オープン・アーキテクチャへの移行という意味だ。閉鎖的、独占的なプロプラエタリ(独自)なITアーキテクチャから抜け出ること。オープン・アーキテクチャに移行すれば、自ずからソフトウェアの無償化が進む。この会合は学会ではないのだから、プロプラエタリへの対抗軸を示さなければならない」

 当時の韓国OSSフォーラム会長を務めていた李龍兌(イ・ヨンテ)氏(現・世明大学総長)は流暢な日本語で指摘する。

 同氏は李王朝の末裔で、ソウル大学を卒業後、アメリカのハーバード大学でコンピュータ・サイエンスの博士号を取得した。70年代に韓国独自のコンピュータ開発プロジェクトを主導して以来、一貫して情報化政策に関する政府の顧問的な役割を果たしてきた。 「日本にはまだ多くのメインフレームやオフコンが使われ、COBOLプログラムが動いている。それでコンピュータメーカーやSI企業の200万人が食べている」

 李氏は続ける。

 「加えて軍事やエネルギーの分野でアメリカとの関係に配慮しなければならない。しかし将来を考えると、情報システムのオープン化は進めなければならない」

 毎年2-3回は来日し、業界関係者と意見交換している知日派ならではの観察だ。

 「一方、わが国(韓国)や中国には、そういうしがらみがない。わが国の行政システムや金融システムは、80年代末にUNIXで動いていた。日本にとっての“脱レガシー”はメインフレームのことだが、われわれにとっては“脱Windows”だった」

5年間で売り上げ倍増


北東アジアOSS推進フォーラムの本会議でビジネスのあり方について言及したのは、ソウル会合で演壇に立った韓国ハーンソフト社の白鐘振(パク・ジョンジン)社長のただ一人。「OSSベースのアプリケーション開発に国が予算を投入し、政府・公共機関が標準で採用するべきだ」が骨子だった。

 韓国ハーン社は韓国語ワープロソフト「Hangul」の開発で知られるが、97年に発生した韓国の経済混乱で倒産の危機に見舞われた。そのとき同社製ソフトのユーザーがデモで「ハーン社を救え」と訴え、その動きを受けた韓国政府がデスクトップ系ソフトをハーン社製品に切り替えた。国産のIT技術を政府が救ったのだ。同社が自社製品の「脱Windows+Linux化」を推進したのは、それがきっかけだった。

 「OSやデータベース管理システム(DBMS)などの技術を他社に握られていたら、アプリケーションを独自の技術で作っても砂上の楼閣になってしまう。だからオープン・アーキテクチャに移行せざるを得ない。OSSは必然の帰結」と白鐘振氏は説明する。

 「OSSに軸足を移すとビジネスが成り立たないというのは間違っている。その証明が当社の売上高。02年に210億ウォン(約26億円)だったが、5年間で倍以上になった」

 オープン・アーキテクチャをベースとすることで対応する稼働環境が拡大し、ソフト製品ばかりでなくカスタム・アプリケーションの受注につながった。マイクロソフトのデスクトップ製品のシェアがマイナーなのは、世界主要国のなかで韓国しかない。

世界にビジネスを展開


 「OSやミドルウェアは、最後は限りなく無償に近くなる。無償化のあと、本当の意味でソフトウェアの価値が問われる」

 こう言うのは、ミラクルリナックス社長の佐藤武氏だ。日本ユニバック(現・日本ユニシス)でソフト技術者としてメインフレームのアプリケーション開発に従事。現在はLinuxのディストリビューションを推進している。

 同社は04年、韓国ハーン社、中国レッドフラッグ・ソフトウェア社と提携、アジアナックス・コンソーシアムを発足させた。翌年、3社のLinuxを標準化したアジア版「Asianux」をリリースし、今年7月にはベトナムのハノイで同国科学技術省と技術協力の覚書に調印した。

 「プロプラエタリな技術、日本でしか通用しない技術にこだわっている限り、世界に情報を発信できない。中国、韓国、さらにベトナムにもビジネスを展開できたのは、オープン・アーキテクチャをベースにしているからこそですよ」

 OSSはオープン・アーキテクチャ。この意味を国内のユーザーやSIerはどこまで理解しているだろうか。
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