IT経営コーディネート 企業活性化にITCの妙手

<「IT経営」コーディネート 企業活性化にITCの妙手>104.「IT経営力大賞」シリーズ 草加葵(上)

2009/08/31 16:40

週刊BCN 2009年08月31日vol.1298掲載

WindowsNTベースのEOSシステムを導入

 埼玉県八潮市に本拠を置く草加葵(安達宣秀社長)は、大正5年創業の老舗だ。昭和51年、先代から会社を譲り受けた安達社長が、繊維・建材業から米菓製造に業種転換し、現在に至る。百貨店、量販店、駅など、さまざまなロケーションで商品を販売。「富山湾白えびかき餅」や小豆島の「バージンオリーブオイルおかき餅」など、草加せんべいであって草加せんべいではない斬新な商品は、幅広い層から支持されている。

 1998年に、オフコンシステムから、WindowsNTベースのパソコンを中心としたオープンシステムにリプレースした。受発注、売上、仕入れ、棚卸、商品管理までを実現するEOS(オンライン受発注システム)を導入し、SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)の構築に取り組んだ。年間売上高は、6億円から23億円に急成長を遂げた。

 草加葵は、これまでに二度、つぶれかけたことがある。最初が昭和51年、先代から会社を譲り受けた時だった。4000万円の不渡り手形を出した。安達社長はそれまで勤めていた会社を辞め、「もともと職人気質の仕事に憧れを持っていた」ことも手伝って、繊維・建材から米菓製造に業種を転換した。全盛期のダイエーに、テナントとして出店。収益を上げながら、「より消費者に近いところで商品を売りたい」(安達社長)と、JRのKIOSKでも販売を開始した。臨時売店で、1日あたり300~500万円を売り上げるなど、次々に販売レコードを更新したという。東京駅の売り場にも納品し、年商15億円の企業に成長した。

 96年までは順風満帆だった。ところが97年、KIOSKとの取引が打ち止めとなったことで、売上高は6億円まで落ち込む。当時の借金は8億円。「この数字をみて、貸したいと思う金融機関はいない」(安達社長)。二度目の倒産危機だった。

 安達社長は融資を受けていた政府系金融機関との話し合いで、企業再建専門の会計事務所の知人に協力を仰ぐ。さらに、新しい販路として百貨店に商品を置くことを思いついた時、東武百貨店から出店の話が舞い込んた。政府系金融機関を「オンリーワンの製品を作る」と説得しながら、産学共同に取り組んでいた東京農業大学の先生と協力して、富山湾白えびかき餅、四万十川糸のりかき餅など、国産の食材を使った斬新な商品開発を進めた。

 二度目の危機の前年、95年には、10年以上付き合いのあるITコーディネータの小林勇治氏と、新システムの導入を検討していた。「95年は経常利益が1億円で左ウチワ。売り上げが落ちて97年に稼働できなくなったが、オフコンはオーバーフローでどうにもならなかった。無理して笑顔を浮かべ、心では泣きながら必死に取り組んだ」と、安達社長は当時を振り返る。数年先のことを考えると、その時、ITシステム刷新は不可欠だった。

 安達社長と小林氏は、まずは就業規則や商慣行の見直しに取り組み始めた。人間系の整理を行わなければITシステムの検討に入れないからだ。
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