先日、日本で初めての本格的インキュベーターのKSP(かながわサイエンスパーク)で設立25周年記念のシンポジウムが開かれた。私も立ち上げ時期に神奈川県の職員として多少噛んだ経緯があって、コーディネーターを務めさせていただいた。パネリストは、久保孝雄氏(元神奈川県副知事でKSPの初代プロパー社長)、山田長満氏(川崎商工会議所会頭でKSPの二代目のプロパー社長)、森内敏晴氏(京都リサーチパーク=KRPの社長)そして内田裕久氏(東海大学教授で現在のKSP社長)と、インキュベーターではこれ以上は考えられぬほどの豪華メンバーであった。
この間、KSPは投資事業組合の設立、産学官の連携、インキュベーターマネージャーの育成などを通じて約400社のベンチャー企業を育成した実績を紹介し、今後のインキュベーター運営方法などを議論した。インキュベーターとして多くの成果を上げたKSPだが実は大きな問題がある。国内で後を追うプロジュクトがまったく出てこないことだ。一時期の大相撲の白鵬のごとく一人横綱なのである。
今日の日本経済は、スマートフォンに前途を阻まれている。このスマートフォンの多くがアップル製やサムスン電子製で、輸入している。戦後、日本は初めて主たるハイテク製品を輸入している。そして、このスマートフォンの登場により、デジタルカメラ、ゲーム機、パソコンなど、わが国が誇るハイテク産業が絶不調になっている。
アベノミクスの3本目の矢の成長戦略は、まさにこのスマートフォンを超える画期的な新技術、新製品が出せるかどうかにかかっている。インキュベーターは、子ども(ベンチャー企業)を育てる母親のような役割を担う。子どもは一人ひとり異なる。個性にあわせて育てなくてはならない。きちんとした保育士(インキュベーターマネージャー)を育てて、彼らの手によって未来のスティーブ・ジョブズや孫正義を市場に登場させる。
日本経済はこれまでの“系列”という農村集落的な民間型インキュベーターから、KSPのような都市社会的なインキュベーターに変えていかねばならない。国内にKSPが50もあれば、成長戦略は簡単に成功する。面倒が多い割に見返りが期待できないこの仕事が嫌われ、一人横綱のKSPが25年間も続いている。日本経済が長期に停滞している根源がここにある。
アジアビジネス探索者 増田辰弘
略歴
増田 辰弘(ますだ たつひろ)

1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。