先日、東京・墨田区八広にある浜野製作所(浜野慶一社長)で不思議な体験をした。プレス、金型を行う、一見どこにでもある町工場なのだが、35人の社員のほとんどは大学卒、しかも有名大学の卒業生なのだ。驚いたことに、来年入社が内定している学生もすでにインターンで勤務していて、まるで社員のように喜々として働いている。しかも、ここの社員のみんなが「ものづくりの現場こそが日本の活力の源泉だ」と、中小企業庁の長官のような発言をする。
黒のリクルートスーツで大手企業を軒並み訪問するのが旧来派の大学生なら、浜野製作所にインターンでやってくる大学生は、間違いなく新潮流派である。安定を約束された未来を求めて動いているのが旧来派なら、自分で未来を創造しようとするのが新潮流派だといえよう。
就職を控えた子どもを抱える、多くの親御さんたちからは、「そんな夢みたいなことを言っていると、大きな後悔をするぞ」という声が聞こえてきそうである。確かに、確率的にはそうであろうが、今日の花形企業が明日も花形企業であるという保証はないというのが現実である。 先日、大手のソフトウェア開発会社の社長から耳よりな話を聞くことができた。最近はコンピュータが複雑になり、ソフトウェア開発者でもなかなか使いこなせなくなってきているらしい。性格が素直でコンピュータやパソコン機器をすばやく理解するソフトウェア開発者が、独創的な開発をしてくれれば一番いいのだが、結果は往々にして逆で、会社のルールにあまり縛られない、機器を理解するのが遅いソフトウェア開発者のほうが、独創的な開発をする傾向が高いというのだ。
ひと昔前は、この旧来派も新潮流派もコンピュータやパソコン機器を理解する能力もソフトウェアを開発する能力もあまり差がなかったという。だが、ITベンチャーの急成長は、この新潮流派の人材をうまく使いこなしているという証であり、大手企業になるほど、組織の維持や管理という視点が必要になり、バランスが求められる。 浜野製作所は、ガレージスミダというインキュベータも運営している。若き起業家を育てようというわけである。ガレージスミダに年間1万人の見学者がある。世の中はこの新たな産業の新潮流に注目しているのである。
アジアビジネス探索者 増田辰弘
略歴
増田 辰弘(ますだ たつひろ)

1947年9月生まれ。島根県出身。72年、法政大学法学部卒業。73年、神奈川県入庁、産業政策課、工業貿易課主幹など産業振興用務を行う。01年より産能大学経営学部教授、05年、法政大学大学院客員教授を経て、現在、法政大学経営革新フォーラム事務局長、15年NPO法人アジア起業家村推進機構アジア経営戦略研究所長。「日本人にマネできないアジア企業の成功モデル」(日刊工業新聞社)など多数の著書がある。